少年兵と遭遇した成人兵士、道徳的ジレンマに苦しむ

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◆銃弾が飛び交う中で攻撃を受ける
 子どもに危害を加えると、成人兵士は深刻な心理的ダメージを受ける可能性がある。多くの文明社会では、子どもは守られるべき罪のない主体であり、世界の大半の軍事組織に属する兵士にとって、子どもに対する攻撃には罪、衝撃、恥の意識が伴う。しかし子どもといえど、脅威に対処しなければ自分自身そして仲間に危害が及ぶ恐れがある。

 成人部隊によって(兵士かどうかに関わらず)子どもたちが殺害されるという光景が広がると、現地住民との関係が極度に悪化しかねない。住民の善意を得られるかどうかに左右されるミッションの場合、この状況は致命的となり得る。これを知っている敵軍は、偽の情報(侵攻者の道徳的な評価を損なう悪いイメージや評判)を作り出すために、子どもたちをわざと危険な方法でさらすかもしれない。

 近くに少年兵がいることを知っている場合、まったく戦闘に関わらない選択をする職業軍人も現れるかもしれない。2003年、子どもが戦闘に関わっていることを知ったドイツ軍は、コンゴ民主共和国への立ち入りを拒否した。また、子どもが人間の盾として使われていることが判明している場合、軍事部隊は作戦を変更するか、応戦を控える可能性がある。

 著作『Million Bullets:The real story of the British Army in Afghanistan』の中で、ジェームズ・ファーガソン氏は次のような逸話を振り返っている。

2人の英国兵は、港までおよそ数百ヤードのところにある機関銃巣からの攻撃の的となっていた。脇にいた兵士は応戦しようとしたが、先方に女性と子どもがいることを知って、恐ろしさのあまりたじろいだ。敵の武装集団は、自分たちの盾とするために女性や子どもを最前線に配置したのだ。その兵士はこれがタリバンの戦術であることは知っていたが、実際に目の当たりしたのは初めてだった。

 戦場に子どもがいる状況が当たり前になってはいけない。紛争地帯に子どもを近付けないよう、あらゆる取り組みが求められている。しかし、戦場で子どもに遭遇した兵士には道徳的なジレンマが重くのしかかることを知っておくのは重要なことだ。武装集団は、子どもがいることで獲得できる戦術的な優位性を熟知している。自分たちに有利になるように敵をかき乱し、ストレスを与えるために戦場で子どもを使い続けるだろう。

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Translated by Conyac

The Conversation

Text by The Conversation