英陸軍トップ「ロシアの脅威に備えなければ」 異例のスピーチの背景とは?

Chatham House / flickr

◆軍の規模ではロシアが圧倒
 カーター大将は、こうした現状を念頭に、次期国会で審議される軍事費の削減に反対。予算の増強なしには、イギリス軍は「錆びついてゆく」と語った。イギリスでは、軍のトップがこのように直接軍事費削減に反対する発言をするのは極めて異例だという。元イギリス海軍トップのロード・ウエスト大将は、「予算をもっと欲しいというこうした発言を、私は海軍に仕えた52年間で一度も聞いたことがない」とBBCに語った。

 イギリス軍の規模は今、「ナポレオン戦争以来最小」(BBC)にまで縮小している。近年の数字を見ても、陸軍の兵員数は2010年の10万人から8万2000人に減った。一方、ロシアとの比較では、軍事費は英525億ドル、露466億ドル(2016年)で、イギリスの方が少し多い。しかし、テレグラフ紙は「軍事費の規模は近いが、イギリス軍とロシア軍のサイズとスケールは非常に異なっている」と指摘する。

 陸海空軍の合計の兵員数は、イギリスが15万2000人に対し、ロシアは83万1000人。陸軍は英8万2000人、露27万人で、戦車の保有数は英227両対露2700両と10倍以上の差がある。歩兵戦闘車両はさらに大きな開きがあり、英623両、露4900両だ(テレグラフ)。質においてはイギリスが優位だとされているが、近年ロシアの装備の近代化が急速に進んでいる反面、イギリス軍の装備は主力戦車のチャレンジャー2が20年間モデルチェンジしていないなど旧式化が目立ち、差は縮まっているという見方が強い。

◆軍事費は現状で十分という指摘も
 それでも、イギリスは今も世界有数の軍事大国であり、昨年は多額の予算を投じて2隻目の空母を完成させた。潜水艦搭載型核ミサイル「トライデント」の増強も行っている。「人口あたりの軍事費は世界最大級」だと指摘するガーディアン紙のコラムニスト、サイモン・ジェンキンス氏は、イギリスの軍事費は実際のニーズを検討して決められているのではなく、前年と比べて多いか少ないかという議論に則った「前例主義」によるものだと、その妥当性に疑問を投げかけている。

 ジェンキンス氏は、イギリスの軍事費は現状で十分であり、「ロシアの燻製ニシン(注:「人の気をそらせるもの」の意)など無視すれば良い」と主張する。BBCは、カーター大将の発言は、ウィリアムソン国防大臣の命令で言わされたものだとしているが、ジェンキンス氏は、毎年予算策定時期になると賑やかになる防衛ロビーの動きの一環に過ぎないと指摘。「陸軍は何千人もの兵士を失うことを恐れ、海軍と空軍は空挺部隊と海兵隊旅団の合併とフリゲート艦をさらに失うことを恐れる」と、軍は組織防衛に勤しんでいるだけで、ロシア脅威論は後出しの理由付けに過ぎないという見方だ。

 同氏は「英国の3軍はずっと前に合併されるべきだった。そうすれば、各軍のロビー活動としてではなく、全体を俯瞰して防衛を議論できたはずだ。前例ではなく、実際の脅威を基準に見なければならない」としている。ロシアの戦車や戦闘機がイギリスやNATO諸国に直接攻めてくるという想定は、今のところ非現実的だ。必要なのは、戦車や空母ではなく、サイバー攻撃などのより現実的な脅威への備えということか。

Text by 内村 浩介