中朝国境の元密輸業者が語った密輸の実態 「良い日は40万円以上稼いだ」

Ng Han Guan / AP Photo

最も調子の良い日で、3,600米ドル(約40万円)以上稼いだと言う。そのような日が年に数回はあった。

 銅屑の需要が減ると、今度は北朝鮮からウサギの毛皮を持ち込んだ。毛皮は中国の洋服メーカーに買い取ってもらえた。その後、2年ほど前に北朝鮮への制裁が強化され始めた頃から、国境警備隊が隙を見せなくなった。そして「(密輸業者を助けて)捕まった者は皆、殺される」という厳しい罰則の噂が広まり、最終的には、北朝鮮側のパートナーが密輸を辞めてしまった。「私たちがどれだけの対価を払うと説得しても、彼は怖くてもう辞めたいと言っていた」。その後、中国人男性もまた密輸から手を引いた。

 密輸が急激に増え始めたのは、深刻な食糧難が北朝鮮を襲った1990年代半ばのことだ。政府の統制力が弱まったところで、死に物狂いの国民は食料と仕事を求めて国境を越え、中国へ渡るようになった。その後、食糧難が和らぎ、社会の混乱も落ち着いたが、市場経済が静かに発展を続けると同時に、密輸が終わることはなかった。

                                                                                                                 

 密輸業者に対する圧力が始まったのは、2011年に死去した金正日総書記による長期政権の晩年からだとする者もいれば、その息子で政権の継承者である金正恩時代に入ってからだと言う者もいる。

 愛煙家の元密輸業者は、2012年に北朝鮮の国境部隊が密輸品を規制するようになり、その時初めてトラブルに直面したと言う。この男性は、最終的には密輸できるものを限られてしまい、昨年ついに密輸業が成り立たなくなったため、中国に移り住んだ。

 中国ではもっと楽な暮らしを送れると思っていた。しかし男性は中国語をほとんど話せず、仕事が見つからない。

「友人たちは皆、北朝鮮にいる」と、彼は国境付近を顎で示していった。北朝鮮でも韓国でも人気のウォッカに似たお酒、ソジュが慰めのひとつだ。「中国の自宅でこれを飲む。毎食1杯ずつ、毎日だ」。

By TIM SULLIVAN and HYUNG-JIN KIM, Jian, China (AP)
Translated by t.sato via Conyac

Text by AP