時間は何故、ときに速く、ときに遅く進むのか
◆やはり時計が時間を支配する
しかし、筆者がいま説明した状況は普通の状況とは言えない。私たちは普通、時間が速く、あるいは遅く進むことを知覚してなどいないのだ。通常の状態では、時計で測定した10分間はやはり10分間と感じている。誰かと10分後に会うと約束したら、時計の助けを借りなくても大体時間通りに到着することができる。これは、私たちが体験を標準時間単位に変換することを学んだこと、そして逆に標準時間単位を体験に変換することを学んできたことに依っている。
私たちがそうできるのは、日々の体験に一貫性があるからであり、この一貫性は、社会での反復的かつ予測可能なパターンによってもたらされる。たいていの場合、私たちが独房に監禁されたり、見知らぬ国を訪れることはない。標準時間単位当たりの体験の密度は中程度で、慣れ親しんだ状態である。そんな中で私たちは10分という時間の中に一般的にどの程度の体験が含まれているかを学んでいる。
そしてこうしたルーチン的なものを変える何かのみが ― たとえば職場での特別に忙しい日や、一年前を思い起こすわずかな沈黙― 標準時間単位当たりの体験の密度を薄め、時間が瞬く間に過ぎ去っているという印象を人の記憶に残すのだ。
同様に、私たちの心をわしづかみにする厄介な出来事である自動車事故も、各自の標準時間単位を瞬時に自分自身と状況の体験で満たし、その様子をまるでスローモーションのように記憶に残す。
This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by coreido