時間は何故、ときに速く、ときに遅く進むのか

flickr | Wes Peck

◆時は如何に加速するのか

 ゆえに標準時間単位当たりの体験の密度が非常に薄いとき、時間はあっという間に過ぎ去っていくように感じられることになる。この「時間の圧縮」は、私たちが直前のことを、あるいは遠い過去を振り返ったときに起こるもので、以下に述べる2つの汎用的条件がこれを引き起こす。

 第一の条件は、ルーチンタスク、日常的な決まりきった仕事である。人はこうした仕事を覚えるときには、これに集中することが求められるが、一旦慣れてしまえば、そのことにあまり集中しなくてもできてしまう。たとえば、いつものルートを通って車で会社から自宅に帰るなど。

 とても忙しい日があったとしよう。こみ入った仕事をこなしていたかもしれないが、長年そうしてきたので、それは型にはまったルーチンワークになっていて、多かれ少なかれ深く考えることなく行動するという点を考えると、それぞれの標準時間単位には記憶に残る体験がほとんど存在しないことになる。特異な体験の「密度」が薄いのだ。そうしてその日が終わると、時間があっと言う間に過ぎ去ったと感じることになる。やぁもうこんな時間かと驚き、すぐに家に帰れるぞと喜ぶのである。

 時間が速く進んでいると感じさせる第二の条件は、エピソード記憶の侵食だ。人は誰もがこの影響を常に受けている。日々の生活の中で起こる日常的な出来事の記憶は、時とともに薄れてゆく。先月の17日、あなたは何をしていたか覚えているだろうか。何か特別な日でなかったのなら、おそらくその日にあったことを忘れてしまっていることだろう。

 この忘却は、時を遡るにつれて強くなる。筆者が別の調査で、調査対象者に昨日、先月、昨年のそれぞれの時間の進み方をどう感じているのかを尋ねたところ、昨年は先月よりも速く、先月は昨日よりも速い、との回答を得た。客観的に言えば、そんなことはあり得ない。1年は1ヶ月の12倍、1ヶ月は1日の30倍も長いのだから。しかし、人の過去の記憶は失われてゆくので、標準時間単位当たりの体験の密度は薄くなり、時間があっという間に過ぎたと感じさせられるのだ。

Text by The Conversation