時間は何故、ときに速く、ときに遅く進むのか
著:Michael Flaherty(エッカード大学、Professor of Sociology)
人は生まれながらに時間を理解しているわけではない。赤子はその行動を外界に合わせ適合することを学ぶ必要がある。それができるようになるまで赤子から目を離すことができないため、親のスケジュールは自ずと赤子中心に回ることになる。また、旅をすると困惑することがある。自分の日常と時間の過ごし方が異なる場所を訪れたときは、特にそうだ(たとえば、スペインの午後のシエスタなど)。
しかし、私たちは皆、赤子を含めて、標準時間単位系(分、時、曜日)に適応することで最終的には時間に対応できるようになる。
この単位系はもちろん有効なのだが、それでも私たちの時間の経過に対する感覚、つまり時間の経過を速く感じたり遅く感じたりする度合いには大きなブレがある。わずか数分の時間が「永遠に続く」ように感じられたり(たとえば信号が青に変わるのを待っているときなど)、あるいはほとんど1年が過ぎ去っていたことに気が付いて愕然とする、といったことがある。
筆者は、この時の経過の感じ方の違いというテーマを30年以上にわたって追い続けてきた。このテーマに魅入られたのは、イリノイ大学の大学院にいる頃だった。ある日、私の担当教授がNFLのクォーターバックにインタビューしている様子を見せてくれた。この選手はゲーム中、他のプレイヤーのすべてがスローモーションで動いているように感じることが度々ある、と説明していたのだ。
なぜそんな歪みが生じるのか?何がそうさせるのだろう?