米国で広がる「シリア難民拒否」、大戦時の日系人隔離と同じ構図? 声を上げる日系人

 米バージニア州、ロアノーク市の市長が、シリア難民受け入れ拒否の姿勢を示した際に、第二次大戦中の日系人強制収容政策に理解を示す発言をし、大きな批判を浴びた。市長は謝罪したが、テロの脅威からその寛容さを失う「移民の国」アメリカに、日系人社会やメディアが警鐘を鳴らしている。

◆パリのテロと真珠湾攻撃、シリア難民と日系人は同列?
 オバマ政権は、今年度約1万人のシリア難民受け入れを計画。しかし、パリのテロ事件後は、安全保障上の懸念から全米の半数以上の州知事が難民受け入れ拒否を表明し、ロアノーク市のデビッド・バウアーズ市長も、地元政府と非営利団体に対し、これらの自治体首長に賛同することを求める書簡を送っていた(ロサンゼルス・タイムズ紙、以下LAT)。

 書簡の中には「フランクリン・D・ルーズベルト大統領が、真珠湾攻撃の後、日系人隔離を強いられたことが思い出され、今日の米国を害するためのイスラム国からの脅威は、当時の敵からのものと同様に現実であり、また深刻だ」という一文があり、これがすぐさま全米で問題視された。数日後、市長は発言を「あさはかで不適切だった」とし、謝罪している(LAT)。

◆収容所政策はアメリカの恥ずべき闇
 米ウェブ誌『デイリー・ビースト』に記事を寄せた作家のパメラ・ロットナー・サカモト氏は、第二次大戦中に日系人を収容所に隔離した事実は、米国の歴史上もっとも恥ずべき事件の一つとして見られてきたと述べる。

 日米開戦後、大統領令により、約1万2000人の日系人が強制的に遠方の収容所に送られた。そのほとんどが米国生まれだったにも関わらず、鉄条網に囲まれ、武装した守衛が常駐する厳しい環境での生活を強いられたという。最後の収容所は1946年に閉鎖されたが、市民権をはく奪されたまま、農地や家など、財産のほぼすべてを失った多くの家族には帰る場所はなく、戦後も苦しい生活が続いた。米政府は、1988年になってようやく、収容所生活を経験した日系人生存者に謝罪し、1人当たり2万ドル(約240万円)の賠償金を支払っている(ニューヨーク・タイムズ紙、以下NYT)。

◆「移民の国」の価値観は変わるのか?
 現在では、二次大戦中の日系人強制収容は、安全保障上の理由ではなく、「人種差別、戦時のヒステリア、政治的リーダーシップの失敗」から行われたものだと米政府は認めている。NYTは、当時はメディアが、「日系農民は特定のやり方で農地に跡を付け、敵国日本にメッセージを送っている」などの日系人陰謀説を報じ、恐怖をあおっていたと説明。カリフォルニア在住で93才の日系人、ジョージ・イケダさんは、「そのような露骨な嘘が、潮目を変え始めた」と回想する(NYT)。

 オレゴン州で生まれた日系人のユカ・ヤスイ・フジワラさんは、真珠湾攻撃の翌日を鮮明に記憶している。中学生だった当時、いつも一緒に学校に行く友達が誘いに来なかったため1人で登校したところ、突然自分がみんなから無視されていることに気付いたという。「当時の間違いは、人種や宗教で人を判断したこと。それは今でも間違いだ」というフジワラさんは、まるでシリア難民全員がテロリストだというかのような考えが、戦時の日系人に対するものと同じであることを指摘した(NYT)。

 サカモト氏は、米国への忠誠を示すため、収容所内から志願して米軍の諜報員や兵士となった日系人の大戦中の貢献と活躍に言及。日系移民やその子供達を敵だと考えたことは、全くの間違いであったと述べ、「シリア難民を拒否することは、我々の価値観を傷つけ、自らを犠牲にした我が国の移民やその子孫を否定し、我々の高潔な志を汚すことだ」と断じた(デイリー・ビースト)。

 シリア難民受け入れで揺れるアメリカ。「移民の国」、「自由の国」の力量が、今試されるときに来ている。

Text by 山川 真智子