日系パラグアイ人、非遺伝子組み換え大豆を日本へ 輸出第4位の礎を築く

 パラグアイは大豆の生産で世界6位、輸出は4位の南米の国である。国土面積は日本よりも少し大きく40万km2、人口は僅かに640万人。南米の心臓部に位置している国と言われている。

【パラグアイへ移民 】
 日本からパラグアイへの移民が始まったのは、今から80年近く前の1936年のことである。当時、世界的な不況と重なり、ブラジルでは外国人排斥の動きが生まれ、また日本がブラジルを満州化するのではないかという危機意識がブラジルで生まれた。さらに日本が米国と戦争を開始したことによって、米国側についたブラジルへの移民が難しくなった。そのため、日系移民は隣国のパラグアイを移民先の対象とし始めたのである。

 5月に日本を訪問したパラグアイのオラシオ・カルテス大統領は「日本からの移民者はパラグアイに博愛、労働、そして教育をもたらしてくれた」と安倍首相との記者会見の席で日本を称える挨拶をしている。

【不耕起栽培(ふこうきさいばい)】
 日本からの移民の移住地はラ・コルメナ地区から始まった。大豆は1950年代に日系移民が初めて栽培を行ない、70年代からは輸出も開始されている。それ以外にも、とうもろこし、小麦、トマトの他、いくつかの野菜類も日系移民が栽培を始めた。

 大豆の栽培が飛躍的に発展したのは、日系移民がイグアス移住地で始めた不耕起栽培に由来する。不耕起栽培とは収獲が終わったあとも畑をそのままにして耕やすことをせずに種を撒く方法である。

 JICAの永井和夫氏の研究文献「パラグアイ日系農業者の発展と大豆栽培」によると、この栽培は日本の国際協力事業団(JICA)の支援のもとに1970年代にブラジルでまず導入された。パラグアイで最初にこの栽培が試験的に導入されたのは1983年のイグアス移住地である。1982年にイグアス地域を襲った集中豪雨で多量の土壌が流出した。それまでも豪雨のたびに土壌が流出していた。このままではパラグイアに生計を求めて移民して来た努力が無駄になってしまうと恐れた日系移民の一人、深見明伸氏が1984年に不耕起栽培を本格的に開始するのである。その前年には窪前勇氏が小麦でそれを試みている。

 さらに同文献によると、イグアス地域では日系人で構成される農業協同組合も全面的に協力し、この栽培方法が同地域で普及し収獲も増えた。1990年にはこの栽培方法がパラグアイ全土で知られることになる。1996年には不耕起栽培普及率は40%まで発展した。すなわち、現在のパラグアイの大豆輸出が世界4位にある背景にはイグアス移住地の日系移民の貢献があると言える。

【イグアス農協】
 日本の大豆の国内自給率は僅かに4%で、残りの96%は輸入に頼っている。現在、世界の大半の大豆は遺伝子組み換え大豆である。バイオ化学企業の日本モンサントの報告によると、日本国内の大豆使用量の75%は遺伝子組み換え大豆と推定されている。つまり、輸入大豆の相当量が遺伝子組み換え大豆であるということだ

 米国やブラジルと同様にパラグアイでも、雑草対策などで除草剤を撒いても大豆は枯れず生産効率が良くなる遺伝子組み換え大豆の栽培が主流になっている。非遺伝子組み換え大豆を栽培するのは雑草、害虫などの被害から防ぐ為にも手間がかかり、その分価格も割高になる。

 しかしそれでも、イグアス農協では1万8000ヘクタールの土地を使って、技術協力で開発された非遺伝子組み換え品種「aurora」を日本の豆腐用として輸出している。商業ベースとしては非効率的であるが、タンパク質含有量が高く、非遺伝子組み換え大豆の生産に励んでいる日系人農家の姿である。

↓リアルなクールジャパンを知る!電子書籍「世界が惚れたクール・ジャパン34選」発売↓

Text by NewSphere 編集部