反米の異端児、ベネズエラのチャベス大統領死去 その光と影

 5日、ベネズエラのチャベス大統領が、ガンの合併症により、首都カラカスで58年間の波乱万丈の生涯を終えた。2011年6月にガンの診断を受けて以来、キューバの病院と自国を往復しながら4度の手術、化学療法、放射線治療を受けてきた末の死だった。
 チャベス大統領の信頼が厚かったとされるマドゥロ副大統領が、沈痛な面持ちで訃報を公表し、今こそ国民の団結と融和が必要だと訴えた。

 大統領の死亡に伴い、憲法上の規定に基づいて30日以内に選挙が行われる。当面職務を代行するマドゥロ副大統領は、このところテレビ露出が急増しており、「すでに大統領選のキャンペーンに入っている」と見る向きは多いとされる。ただし、前大統領の「後継者指名」が大統領の座を確約するとはかぎらない模様で、昨年の大統領選でチャベス大統領に敗れたカプリレス・ミランダ氏との、激しい一騎打ちが予想されているという。
 同国内の国民感情も二分されており、経済や治安の悪化の「元凶」の死を喜ぶ声と、手厚い福祉をもたらした「救世主」の死を悼む声の両方が聞かれるという。

【各国への影響と反応】
 反米路線を鮮明にし、ベネズエラの豊富な石油資源を武器に、キューバ、ニカラグア、ボリビア、エクアドルといった中南米諸国を束ねてきた同氏の死が及ぼす影響は大きい。ベネズエラは世界最大級の石油資源を誇る石油輸出国で、アメリカにとってもトップ5の石油供給国である。同国の政治の先行き不透明感の余波は計り知れない。

 後継者次第で国の根幹すら揺らぎかねないのは、厚い経済支援を受け、反米路線に足並みを揃えてきたボリビア、エクアドルだとされる。そして、チャベス氏のカストロ氏への深い友情と敬愛を糧に、何十億ドルにも相当する「無料の石油」を享受してきたキューバだという。

 隣国ブラジルのルセフ大統領は、両国に政策や考えの違いがあったことを率直に認めつつ、「ブラジル人の友人の、取り返しのつかない喪失に」黙祷を捧げた、とフィナンシャル・タイムズ紙は報じた。

 オバマ米大統領は訃報に接し、ベネズエラ国民を支援し、政府との建設的な関係を発展させる、という談話を発表した。

 これほどの影響力と両極端の評価を残すチャベス氏とはどのような人物だったのか。

【人物像と功罪】
 ウォール・ストリート・ジャーナル紙によれば、先住民インディオ、アフリカ、スペインの血を継いで労働者階級に生まれたチャベス氏は、育ての親である祖母の色濃い影響によって、「ロビン・フット」的な曽祖父像への憧憬を抱いて成長した。この憧れが、後にラテンアメリカ解放の英雄、シモン・ボリバルへの傾倒へとつながったとされる。
 軍隊入隊後、1989年2月に、虐げられる貧困層への強い共感からクーデターを起こしたが失敗し、投獄の憂き目にあった。しかし、投降の際、「テレビで演説する」という小さな機会を勝ち取ったことが彼の転機となったという分析がある。多くの国民の心を揺り動かし、彼自身に「テレビで国民に強い影響を与える」自らの卓越した能力に気がつかせる機会になったというのだ。

 チャベス氏はその後、合法的な政治活動に転換し、選挙によって大統領の座に就いた。積極的な再分配政策で、ベネズエラの貧困層の「社会や政治からの疎外」に終止符を打ったのは、誰もが認める同氏の「功」だとされる。

 しかし、同氏はやがて権力への固執に走り、なかば強迫的に、「自身の大統領への再選を可能にするために」法規を変更していったとニューヨーク・タイムズ紙は報じた。政府直営のテレビ局を通じて自身の専用番組を作り、貧困層へのアピールを続けたことが象徴的だ。

 さらに、石油資源頼りの貧困層への手厚い福祉政策は、多くの中産階級の国外脱出と、周辺国からの貧困層の国内流入という結果を招き、財政悪化に拍車をかけたという。
 2002年には不満を抱く軍部によるクーデターによって、一時政治生命を危ぶまれたが、わずか3日で返り咲いた。その後も、同氏の「ばらまき」とも評される政治姿勢は変わらなかった。
 外資系石油会社の国有化により原油産出量が大幅に低下傾向にある現在、ベネズエラ経済をかろうじて支えているのは、高騰している原油価格だという。

 功罪相半ばする「巨星」が堕ちた今、ベネズエラの将来に世界中の注目が集まっている。

Text by NewSphere 編集部