ミレニアルとプラットフォーム・エコノミー
プラットフォーム・エコノミーの黎明期には、ソーシャルメディアやグーグルなどの検索エンジンを通じて情報へのアクセスを民主化し、ユーザーが自由に自己表現したり、以前より柔軟に働けたりすることを可能にする救世主のような存在だと考えられていた。ところが今、事はそんなに単純ではなかったということが理解されつつある。
アマゾンは2005年に、コンピュータと人間のスキルを組み合わせる「メカニカル・ターク」というタスク依頼サービスを始めた。このプラットフォーム上で競争の原理が働いたこと、またその後、いわゆる「リーマン・ショック」と呼ばれる金融危機が起きたことなどから、レイオフ(解雇)された労働人口やフリーランサーたちの賃金が下がる結果になった。
一方で、所有することよりも共有することを好み、コミュニティ性を大切にするミレニアルたちをターゲットとしたサービスが登場した。「シェア」「ピア・トゥ・ピア」といった概念とともに、「カウチサーフィン」のような「共有」プラットフォームと、シェアリング・エコノミーというコンセプトも出現した。とはいえその多くが結局、投資を受けて利益を出さなければならない状況に陥り、コミュニティ性からは乖離していった。「カー・シェアリング・サービス」と名が付きながら、事実上は単なる配車アプリにすぎないUber(ウーバー)は、組合の保護を受けないタクシー運転手たちを安い賃金で働かせることに成功した。
同時に、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンという、いわゆるGAFAはむしろアメリカを超えるほどのの規模にまで成長し、「無料」のサービスと引き換えに、ユーザーたちは気がつけば個人情報や購買志向のデータを彼らプラットフォーム側に握られている。アマゾンなどのショッピングサイトには、企業に雇われた人たちが書いたフェイクのレビューが氾濫している。フェイスブックやツイッターといったソーシャルメディアはフェイクニュースやヘイトに侵食され、ロシアがアメリカの大統領選挙に事実上介入することを許した。ユーザーたちが利便性を求めるうちに、ごく少数の企業が市場を独占している、という状況ができあがっていたのである。
先に書いたミレニアルの共有志向、個人志向といった世代特性が、プラットフォーム・エコノミーの誕生につながり、気がつけば数少ない富豪たちが経済の大部分を専有する状況の形成に少なからず貢献してしまったことは、おそらく間違いはないだろう。ニューヨークのミレニアルたちが、アマゾン本部の進出を阻止するために組織的な運動を繰り広げたことの背景には、プラットフォーム経済に支配されることへの抵抗のかたちがあったのだった。
今こうして見ていると、自分も含めて、消費者たちの責任の持ちようが社会に及ぼす影響の大きさについて考えざるをえない。「便利」「無料」という謳い文句に踊らされているうちに、気づけばプラットフォーム経済が社会のあり方を根底から覆すような規模の問題に成長していたのである。
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