物の値段を考える 1
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私が育ったバブル期の日本は「高いものはエラい」が常識だった。女子たちのあこがれは、エルメスであり、ルイ・ヴィトンだった。高校を卒業した頃にはバブルは弾けていたが、まだ好景気の残り香のようなものが漂っていた。大学生でもバイトの口には困らなかったし、頑張れば海外旅行などにも行けた。「アメリカに行きたい」という人生の目的意識を持つまでのあいだ、グアムに遊びに行って買い物に明け暮れたこともあった。
おそらく、ブランドに対して微妙な違和感を持ち始めたのはこの頃だ。日本では高級なブティックに並んでいるものが、旅行者を対象にしたチープな内装のデューティフリー・ショップに売られている。「海外では日本で買うものが安く買える」とみんな浮かれていたが、キラキラしていたはずのものが急に色あせて見えるようになった。おまけに周りには、「本物にそっくりな偽物」を手に入れるために韓国旅行に行くような人たちもいた。10万円のバッグのそっくりさんが、2万円で手に入れられる。メゾンの工房で作られるから10万円なわけで、「本物に見える」偽物に2万円払う人の気が知れなかった。
今あらためて考えてみると、こういったことは「価格の不思議」をたくさん秘めていた。「海外だと安い」と思うのは、実は幻想だった。ある国に本社を持つメゾンが作った商品の小売価格は、その国の通貨で決められる。それを別の国に動かせば、その分のコスト(輸送費、人件費、関税)が乗っかる。そうやって価格が決まるだけのことだった。物は生産国で買うのが一番安いのだ。
ブランドにはもうひとつ解せない一面があった。たとえばメディアで美しいコレクションを見て店舗に出かけてみたら、陳列されているのは まったく別の商品展開だ、ということもある。百貨店のタオルや寝具のコーナーで、高級ブランドのロゴが商品に入っているのに、ラベルには日本の会社名が入っていて興ざめしたことはないだろうか? こういうことが起きるのは、ブランドがライセンシングと呼ばれる方法によってブランド名やロゴを貸し出し、それによって売上の一部を受け取るという商習慣があるからである。
ライセンスという権利貸与的な業務形態は、1930年代からディズニーがキャラクターを使用する権利を外の企業に授与して、フィーを受け取るようになったことから始まったものだった。海外に市場を見いだしたヨーロッパやアメリカの大手ファッション企業は、このメソッドを取り入れ、寝具や生活雑貨、香水といった分野などで海外の会社とライセンス契約を結ぶようになった。つまりこうした商品は、ブランドが作ったものでは必ずしもないし、それはブランドのロゴとクオリティは比例しないということでもあった。
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