「まさに拷問」釈放されたベラルーシの反体制活動家、独房での5年間を語る

インタビューに応えるシアルヘイ・チハノフスキー氏(22日)|Mindaugas Kulbis / AP Photo

 シアルヘイ・チハノフスキーの姿は、かつての彼とは別人のようだ。2020年に投獄され、6月21日に突然釈放されたベラルーシの主要な反体制派指導者チハノフスキーは、かつて身長192センチ、体重135キロだったが、現在はわずか79キロまでやせ細っている。

 チハノフスキーは21日、13人の囚人とともに釈放され、隣国リトアニアの首都ビリニュスに移送された。そこでは、亡命中のベラルーシ野党指導者で妻のスヴャトラーナ・チハノフスカヤと子供たちと再会を果たした。翌日AP通信のインタビューに応じた彼は、微笑もうとし冗談も口にするが、拘束中に受けた苦しみを思い出すと重いため息を抑えきれない。

 「まさに拷問です」とチハノフスキーは語る。「刑務所の職員たちはこう言い続けたんです。『今の20年の刑期だけじゃ済まない。さらに起訴してやる』って。『絶対にここから出られない』『お前はここで死ぬんだ』と、繰り返し言われました」

 ベラルーシで最も著名な反体制派の一人であるチハノフスキーは、長年の独房拘禁で「ほとんど話し方を忘れかけていた」と話す。完全な隔離状態で、医療は受けられず、食事もわずかだった。

 「皿におかゆを小さじ2杯だけ落とされたときの私の姿を、あなたが見ていたら……」と語り、刑務所の売店で何も買えなかったと明かす。「時々、歯磨きチューブを少しとか、小さな石けんを施しとしてくれることもあったけど、くれない時もあった」

◆抵抗の象徴が帰還
 現在46歳のチハノフスキーは、人気ブロガーかつ活動家として知られていた。釈放は、ベラルーシ当局が強権的なアレクサンドル・ルカシェンコ大統領とアメリカのトランプ政権のウクライナ担当特使がミンスクで面会したと発表した数時間後に行われた。そのキース・ケロッグ特使は、近年ベラルーシを訪れたアメリカ政府高官のなかで最も高位の人物だ。

 「ゴキブリを止めろ」という反ルカシェンコスローガンで知られたチハノフスキーは、2020年の選挙に出馬を表明した直後に逮捕され、政治的動機によると見なされる容疑で19年6か月の刑を言い渡された。代わって妻のスヴャトラーナが立候補し、全国各地で支持を集めた。公式選挙結果ではルカシェンコの6選が発表されたが、野党も欧米諸国も「不正選挙」だと非難した。

 その後ルカシェンコは権力をさらに強化し、2025年1月の選挙で7選を果たしたと主張している。2024年半ば以降、政府はアメリカ人を含む約300人の囚人を恩赦。これは欧米との関係修復を狙った動きと見られている。

 チハノフスキーは、トランプ大統領の働きかけが釈放につながったと考えている。「ドナルド・トランプには感謝してもしきれません」と語り、「当局はトランプに、少しでも歩み寄ってほしいんでしょう。彼らは全員を釈放する用意がある。全員を!」と強調した。

◆今も多くが獄中に
 2020年8月の選挙後には数万人が街頭に繰り出し、数千人が拘束され、警察による暴力も報告された。主要な反体制派の多くは国外に逃れるか、投獄された。

 人権団体「ヴィアスナ」によると、現在も少なくとも1177人の政治犯が収監中だ。創設者でノーベル平和賞受賞者のアレス・ビャリャツキも含まれている。

 また、2020年にルカシェンコの最大の対立候補と見なされていた元銀行家ヴィクトル・ババリカや、チハノフスカヤの側近でカリスマ的指導者マリア・コレスニコワも獄中にある。

◆思いがけない釈放と涙の再会
 チハノフスキーは今回の釈放を「信じがたい夢のようだ」と語る。21日、KGBの未決拘置所から連れ出され、頭に黒い袋をかぶせられ、手錠をかけられたままマイクロバスで移送されたという。彼も他の囚人も、どこへ向かうのかまったく分からなかった。

 「正直、まだ信じられません。目が覚めたらまた元通りなんじゃないかって。信じられない、今でも」と語り、何度も言葉を詰まらせ涙を拭った。

 9歳の娘と15歳の息子も、久しぶりに会った父親を最初は認識できなかった。

 「妻が娘に『お父さんが来たよ』と言ったんですが、最初は理解できなくて。そのあと娘が飛び込んできて……泣いてました。私も泣きました……ずっと。息子も同じです。言葉では言い表せない感情です」

 健康も悪化しており、リトアニアで精密検査を受ける予定だという。ベラルーシの政治犯たちは「極端に過酷な環境」で、寒さと飢えに苦しめられていたと語る。「皮膚病もあったし、腎臓に問題を抱えていた人も多かった。何が起きているのか誰にもわからなかった」とし、「私も血を吐いたり、鼻血が出たり、けいれんを起こしたり……全部あの極寒の独房のせいでした」と述べる。「刑務所には医療なんて存在しません……まったくの皆無です」

◆プーチンが支える独裁体制
 チハノフスキーは、2024年2月にロシアの反体制派アレクセイ・ナワリヌイが獄死した後、刑務所の環境が「わずかに改善」されたと証言する。

 「ナワリヌイが死んだとき、自分も近いと思いました。でも何かが変わった。『チハノフスキーは生かしておけ、死なせるな』という指示が出たようでした」と語る。

 彼は、ルカシェンコを支えてきたのはロシアのプーチン大統領だと非難する。「プーチンがいなければ、私たちは今頃、まったく別の国で暮らしていたでしょう。プーチンはルカシェンコの勝利を認め、不正選挙を無視しました。お互いに助け合っているんです。プーチンのせいで、ベラルーシには今も違法な政権がある」と述べた。

◆分断を狙った釈放との見方も
 一部の専門家は、当局がチハノフスキーのようなカリスマ的存在を釈放したのは、野党内部の分断を狙ったものではないかと見ている。しかしチハノフスキーはそれを否定し、亡命政府を率いる妻チハノフスカヤの立場を尊重すると述べた。「どんなことがあっても、同じベラルーシ人を非難したり、文句を言ったりするつもりはありません」と断言した。

 彼は今後も政治家として、またブロガーとしての活動を再開する意欲を示す一方で、70歳になったルカシェンコが自主的に退陣する可能性は低いと見ている。「もうわかりません。彼が去るのか、去らないのか。多くの人が、彼が死ぬまで変わらないと言っています。でも私は今でも、民主勢力の勝利を信じています」

By YURAS KARMANAU

Text by AP