「いずれ中国は民主化する」が外れた理由 天安門事件から30年、封じられた言論
1989年の6月4日、中国の天安門広場を占拠していた民主化を求める学生などに、中国軍が武力を行使した。中国政府は死者数を発表していないが、人権団体や欧米メディアの調べでは数千人に上るとされている。今年は30周年にあたるが、中国政府は活動家のみならず全国民への監視の目を強めている。今後の中国の民主化はほぼ不可能だという見方が支配的だ。
◆予想外の展開 識者も驚く中国の変身
USニュース&ワールド・レポート誌に寄稿した香港大学のキース・B・リッチバーグ氏は、天安門事件後、多くのジャーナリストや人権活動家は二つの予想をしたと述べる。まず一つは、国民の怒りを鎮めるため、中国政府が事件の間違いをいずれ認めるだろうということだった。二つ目は、事件をきっかけにした次の民主化の動きが、共産党の独裁を終わらせるだろうということだった。ところが予測は大きく外れ、共産党は天安門事件自体を組織的に歴史と国民の記憶から消し去る方向に動いた。
同氏によれば、1990年代から2000年代にかけて、中国全土で抗議運動や暴動が増えていたという。さらに2009年から2012年にはマイクロブログの微博(ウェイボー)が爆発的人気となり、実際の暴動につながる可能性のあるオンライン上での抗議が増加した。
インターネットが民主主義と自由への要求を広げるツールとなり、一党独裁が終わるかと思われたが、共産党はブロガーや弁護士、活動家を逮捕し、大規模な不穏分子摘発と検閲に動き始める。ついには自由な空間だったウェブの支配に成功し、ネットの規制を強め、党の目的のために利用するまでになった。リッチバーグ氏は、共産党にこのような変身を遂げる能力があることに大方の識者は気づいていなかったとしている。
中国経済の急成長で国民の不満が抑えられたことも予想外だったと同氏は述べる。また国民の母国愛を利用し、共産党への攻撃は中国への攻撃だとする愛国カードを巧みに切ることで、共産党は民主化運動の芽を摘んできたとしている。
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