スパイの子供に市民権は認められるか カナダ最高裁が判断へ

2010年7月に開かれた両親の保釈聴聞会の後、裁判所を後にするアレックス・ヴァヴィロフ氏(右)と兄のティム氏(AP Photo / Elise Amendola)

 最近大学を卒業したばかりのアレックス・ヴァヴィロフ氏。トロント生まれの彼には、普通ならばカナダの市民権が与えられるところだ。しかし彼にはひとつだけ、他のカナダ人とは違う部分があった。それはすなわち、彼の両親が、過去に北米で暗躍したロシア人スパイグループのメンバーだったことだ。

 その部分がまさに、いま注目を集める市民権をめぐる法廷闘争の主要な争点だ。現在23歳のヴァヴィロフ氏。彼が求めるのは、カナダでの永住権だ。彼の両親はこの地で深くコミュニティに溶けこみ、密かにスパイとして活動していた。このスパイ夫婦は、アメリカのテレビドラマ「The Americans」のモデルにもなっている。

 カナダ政府は、アレックス・ヴァヴィロフ氏には市民権を得る資格はないと主張、カナダの最高裁判所に対し、彼の所持するカナダのパスポートを有効と認めた下級裁判所の裁定を取り消すよう求めている。これに対してヴァヴィロフ氏の支持者らは、両親の罪を息子が背負うべきではないと主張。これとは逆に、「自分は生まれながらのカナダ人」という彼の主張は虚偽に基づいているとして、真っ向から反論する声もある。ヴァヴィロフ氏とその両親は、初期にはトロント地域で、その後はアメリカ・マサチューセッツ州において、偽の身分を使い、ロシアのために諜報活動を行っていたというのがその理由だ。

 イギリスで起きた毒殺未遂事件でロシアが告発を受け、さらにはアメリカで選挙妨害も行ったと批判される世相の中で(ロシア側はどちらも否定)、今回の裁判は、世界各地で高まる冷戦時代を彷彿させる「東西対立」を象徴する事件だ。一部からは、カナダは北米に深く潜伏していたロシア人スパイ夫婦の犯罪を簡単に許してはならないとの批判も出ている。

「とりわけ、最近発生した毒殺未遂事件を鑑みた場合、ロシアの諜報機関の活動を利するいかなることも認めてはなりません」これは、ヴァヴィロフ氏の両親の逮捕を指揮したFBI捜査官、リチャード・デロリエ氏の言葉だ。ヴァヴィロフ氏の両親であるアンドレイ・ベズルコフ被告とエレーナ:ヴァヴィロヴァ被告は、アメリカを中心に活動していた他の8人のメンバーとともに2010年に逮捕された。

 カナダの最高裁判所は5月はじめ、ヴァヴィロフ氏に対する訴えを受理した。今後裁判所は、彼の市民権を剥奪するというカナダ政府の裁定が妥当かどうかを判断するが、仮にヴァヴィロフ氏側が勝訴する場合には、彼の兄のティム氏にもカナダ市民権が認められる可能性が高い。裁判のゆくえが今、大きく注目されている。

 カナダはアメリカと同様、外交官の子息などの限られた例外を除いて、自国の領土内で生まれたすべての者に市民権を付与する法律を持つ。カナダ政府は、ヴァヴィロフ氏の両親は「外国政府の職員、または外国政府の代表者」にあたり、したがってその息子のヴァイロフ氏には市民権を得る資格がないと主張する。しかしヴァヴィロフ兄弟の弁護士は、彼らの両親は正式な公務員ではなかったと主張。この裁判で問われるのは、この兄弟の実際の出生地のみであるとの立場だ。

「市民権を得る権利は、この地で生まれた全員が持つ基本的権利です」トロントに事務所を構えるハディート・ナザミ弁護士は述べた。「両親が犯した罪を理由に、その子供を罰することはできません。そんなことはできないのです。もし仮にカナダが彼を罰するとすれば、これはとんでもないことです」

 アレックス・ヴァヴィロフ氏の両親は、1980年代にカナダのトロントに到着、それぞれドナルド・ヒースフィールドとトレイシー・アン・フォーリーを名乗った。1990年には長男ティム氏が生まれ、1994年にはアレックス氏が生まれた。その後一家は1995年にパリに移住。さらに1999年には、アメリカ・マサチューセッツ州ケンブリッジに移り住んだ。

「彼らは身分を偽った両親の下に生まれました。そんな人物たちの市民権を今後も認めるわけにはいきません」そう主張するのは、デイビッド・ヒースフィールド氏だ。ヴァヴィロフ氏の父親は、このヒースフィールド氏の弟・ドナルド氏(当時すでに死亡)の名前と身分を盗用していた。

 FBIは2010年、アメリカ国内で長年マークしてきたロシアの潜伏スパイグループを一斉摘発した。今では世界的に有名になったアンナ・チャップマン容疑者を含む10人全員が有罪判決を受け、その後、「スパイ交換」によってロシアに送還された。

 アレックス・ヴァヴィロフ氏と兄のティム氏は、自分たちの両親がロシアのスパイだったことはおろか、両親がロシア人であることすら知らなかったと主張している。この一家のストーリーはドラマ「The Americans」のモチーフとなり、ドラマは現在、FXネットワークで最終となる第6シーズンを放送している。

 ヴァヴィロフ氏は現在、カナダで就職活動を精力的に行っており、カナダのパスポートを使って実際カナダに入国した記録もある。彼の弁護士は、ヴァヴィロフ氏本人はインタビューに応じる意向はないと述べ、彼が現在どこにいるかも知らないと主張した。裁判所の文書によると、ヴァヴィロフ氏はロシアでの滞在期間はごくわずかだと主張、CBS(カナダ放送協会)とのインタビューでは、自分はカナダの銀行業界で働くこと、そして結婚して家族を養うことを希望する大卒者のひとりに過ぎないと自らのことを語っている。

「私は国家の敵ではありません。私はカナダ市民で、自分の暮らしをたてるためにここにいるだけです」ヴァヴィロフ氏本人は、最近CBCにそう語った。

 FBI捜査官のデロリエ氏は2010年、「ヴァヴィロフ兄弟の長男ティム氏は、両親の逮捕以前からその秘密を知っていた可能性がある」と発言した。しかし今週になって、そのデロリエ氏が、「その判断を下すに至る、何か個別具体的な事実があったわけではありません」と、過去の発言を翻すようなコメントを出した。

「子供たちが、どの時点で両親の何を知っていたかについては、よくわかりません」とデロリエ氏はコメントした。

 両親は逮捕されたが、ヴァヴィロフ兄弟は最終的に起訴されなかった。彼らの弁護士は、両親の秘密をふたりが知っていたことを示す証拠は何もないと述べた。いっぽうFBIは、彼らの両親は、最終的にアメリカで諜報活動を行う目的で別人に成りすましていたとみている。またアメリカの検察当局は、ヴァヴィロフ氏の父親が2004年にアメリカの政府職員と接触し、核兵器研究について情報交換したと話した。

 アレックス・ヴァヴィロフ氏は大学へ通うためにカナダへの帰国を希望したが、拒否された。カナダ政府は、彼の両親が「外国政府の職員、または外国政府の代表者」だったことを理由に、ヴァヴィロフ氏をもはやカナダ人としては認めないという裁定を下した。ヴァヴィロフ氏はカナダの連邦裁判所に決定の取り消しを求めたが、訴えは認められなかった。しかし昨年6月になって、カナダの連邦控訴裁判所は、外交的な免責や特権を受ける外国政府職員以外にはこの法律は適用されないとの判断を示し、ヴァヴィロフ氏はカナダの市民権を回復した。

 最高裁判所での審問は、今年12月上旬に予定されている。

 カナダ首相の国家安全保障顧問を過去に務め、カナダの諜報機関を指揮する立場にあったリチャード・ファデン氏は、カナダの諜報機関CISISがヴァヴィロフ兄弟は危険人物でないと判断する場合には、彼らの市民権は認められるべきだ、との意見を述べた。

 いっぽう、元FBI副長官のボブ・アンダーソン氏は、ロシア人スパイグループの逮捕後にヴァヴィロフ氏とその家族から市民権を剥奪したアメリカに比べ、カナダは極端なほど寛大だとの感想を述べた。

「私自身は、彼らの行為の悪辣さに照らして、全員をアメリカから追放し、誰ひとり市民権を持ち続けることは許さないという立場でした」アンダーソン氏は当時をふりかえる。「しかしその点カナダは、スパイ行為に対しておどろくほど寛容ですね」

By ROB GILLIES, Associated Press
Translated by Conyac

Text by AP