米政府のソーシャルメディア規制で事態はさらに悪化する

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著:Paul Levinsonフォードハム大学、Professor of Communication and Media Studies)

 ロバート・ミュラー特別検察官は2月16日、2016年大統領選挙に干渉した容疑で13名のロシア人を起訴した。ロシアが選挙に干渉する手段として主に使用していたのが、ソーシャルメディアだ。彼らはソーシャルメディアを駆使してドナルド・トランプ大統領候補を推しながら、ヒラリー・クリントン氏の選挙活動を中傷した。

 ロシア人13名は、外国人がアメリカの選挙に影響を及ぼすために金銭を投じることを禁じるというアメリカの法律に違反した罪で起訴されている。

                                                                                                                 

 このような追求に加え、ロシアが2016年選挙戦に干渉する目的でソーシャルメディアを使用していたことが認められれば、政府に、ツイッターやフェイスブックを始めとするソーシャルメディア市場に対する規制を求める声が大きくなる可能性がある。ツイートなど投稿内容が民主主義を傷つける可能性があるとしたら、アメリカ政府が何かしらの行動を起こすべきだという意見も多いだろう。

 しかしその意見は間違っている。

 アメリカ議会は昨年末に、ツイッター、フェイスブック、グーグルに対する尋問を行い、2016年選挙戦中に他国の関係者が有権者の分断を目的とする広告や記事を投稿し、虚偽の情報を流布することを容認した責任を追及した。

 政府内から連邦政府のソーシャルメディア規制を求める声があがっている。

 まず、何らかの規制を制定することで、我々が目にするニュースフィードや広告に2月16日の起訴内容にあるようなボットやフェイクニュースが横行するのを防ぐことができるだろう、と人々は考えるのだろう。民主主義が傷つくことはない。少なくとも他国の選挙干渉は食い止められる。

 しかし数十年に渡り米憲法修正第1条の研究、教育に従事した者として言わせてもらえば、そのような規制が制定された時に最も大きな被害を受けるのは、フェイクニュースの発信者ではなく我々の表現の自由である。私が思うに、規制によりアメリカの民主主義は、これまで海外のありとあらゆる虚偽情報キャンペーンが与え得た以上の被害を受けることになるだろう。

◆全面攻撃を受ける言論の自由
 米憲法修正第1条は、数々の圧力にさらされている。

 修正第1条が圧力を受けるようになったのは、1919年に最高裁判所が、言論の自由に対する規制が合法となり得る場合を明確にする「明白かつ現在の危険」を決定してからと言ってほぼ間違いないだろう。「明白かつ現在の危険」は、ある人が「映画館で火事だと虚偽の事実を叫ぶ」ことを政府が禁じるべきとする論拠にもなるが、修正第1条で規定される「言論または出版の自由を奪う(中略)いかなる法律も、議会は制定してはならない」という禁止事項に、政府があらゆる方法を使って違反できるという抜け道を作ってしまった。

 これにまず該当するのが、連邦通信委員会(FCC)の「公平原則」である。これは放送局に対し、議論を呼ぶような問題を(FCCの思う)バランスの取れた方法で表現するよう求めるもので、最高裁判所が合憲としている。さらに1971年には、FCCがラジオ放送局に対しドラッグの使用を美化するような歌を流さないよう警告を発するなど、様々な例が挙げられる。この警告は実際のところ、ドラッグ文化を批判する歌が流されなくなったという結果に終わっている

 1971年のペンタゴンペーパーズに関する最高裁判所の判決と、1997年の通信品位法という例外はあるが、アメリカ政府は事実上、メディア統制を体系的に強化してきた。

 昨年の1年間で事態はいっそう悪化した。トランプ大統領はNBC系列各局の放送免許剥奪を示唆するツイートを投稿し、他の気に入らないメディアについても厳しく批判した。

 メディアに対し規制と罰則制度を定めるというトランプ氏の脅しを、笑って受け流すのは簡単だ。しかしトランプ氏がホワイトハウスに君臨し、つまりFCC長官を指名する権利を持っているのは事実である。トランプ氏の脅しを深刻に受け止めない訳にはいかないだろう。

 一方、哲学者カール・ポパー氏の理論である「寛容のパラドックス」は、修正第1条に関わらずヘイトスピーチを法的に禁止すべきという主張の論拠として広く用いられている。1945年に発表されたポパー氏の著書『開かれた社会とその敵(Open Society and its Enemies)』においては、寛容は、不寛容な言論を許した時に自滅すると述べられている。

 私の第1作目となった、ポパー氏の業績に関する論文集を発表するにあたり、ポパー氏については幅広く研究してきた。ポパー氏の哲学には賞賛に値するものが多数あった。しかし「寛容のパラドックス」は違う。

 ヘイトスピーチを禁止するということは、我々の寛容かつ民主的な社会を、まさにヘイトスピーチが望む社会に変えてしまう。つまりヘイトスピーチの禁止は、「ヘイトスピーチ」と呼ばれるあらゆる言論に、好機を与えてしまう可能性がある。

◆危険な先行き
 ソーシャルメディア上のフェイクニュースを規制する場合にも、同種の現象が発生する恐れがある。だからこそ政府がソーシャルメディアに介入し、フェイクニュースの拡散やボットアカウントの容認を禁止すべきだという善意の抗議が危険なのである。

 フェイクニュースは古くから存在する。数世紀前には反ユダヤ主義の出版物が、ユダヤ人は休日になるとキリスト教徒の子供を殺し、その血を飲んでいるという噂を広めた。

 ソーシャルメディアは過去2年間で、フェイクニュースの数と拡散範囲を拡大させた。しかし同時期に、ある大物政治家が都合の悪いニュースを「フェイク」だと決めつけることで劣勢を覆し、大統領の座へと上り詰めている。それがトランプ大統領だ。

 トランプ大統領のやり方は、政府に対しフェイクニュースの検閲を求める意見を否定するには十分な理由となる。何が「フェイク」かを決める政府が、トランプ大統領の指示にそのまま従い、批判的だが真実を述べているコンテンツを、フェイクニュースと見せかけて弾圧することがないとは決して言い切れない。

 政府に規制を求めるのではなく、まずはソーシャルメディアネットワークが、フェイクニュースを拡散している特定のエンジンを整理することで、フェイクニュースを見つけて削除するアルゴリズムを開発、実装できる。このアルゴリズムを管理するのは政府ではない。フェイスブックを始めとするソーシャルメディアが責任を持って管理する。

 ツイッターはイスラム国のプロパガンダを拡散するアカウントを識別し、削除するという点では大きな進歩を遂げている。政治的不和を煽ることでアメリカの政治システムにダメージを与えようとするロシアのボットにも、この仕組みを適用できないはずがない。

 このような自主規制は、ソーシャルメディアを扱う企業にとって最大の利益を生む。自主規制によりインターネット上で見かけるものに対するユーザーの信頼度を向上でき、政府の規制当局を寄せ付けずに済むという付加価値まである。

 最後に、フェイクニュースやボットに対抗するための究極の手段とは、人間の精神にある合理性である。

 ジョン・ミルトンがあの有名な『アエロパジティカ』で論じているように、思想の自由市場において真実と嘘を戦わせてみると、人の合理性はほぼ確実に真実を選ぶ。思想の自由市場に参入できるものを規制すれば、意図せず真実を社会の目から遠ざけてしまい、この思想の自由市場が持つシステムを害し、破壊する可能性がある。

 合理的な思考でフェイクニュースを特定する能力は、ミルトンの理想を超えた能力である。このことは、2015年に行われた入念な実験で実証されている。実験では被験者に少額の報酬を与えた場合、フェイクニュースが被験者の政治観を支持する内容であっても、それをフェイクニュースだと断定することができた。

 実際に、合理性は民主主義そのものの中に深く根差している。合理性がないことには、民主主義も成り立たない。

 国家を狙うフェイクニュースや同種の攻撃に立ち向かうためには、我々の合理性が、真実を含むすべての情報に最大限触れられるようにすることが鍵となる。これはつまり、政府が我々の受け取れる情報を制限しようと試みた時には、必ず抗議すべきだというのが私の意見だ。

この記事は2017年11月28に発表した記事のアップデート版である。

This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by t.sato via Conyac

The Conversation

Text by The Conversation

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