安倍首相「最低賃金1000円目標」、失業率への影響は? 大幅引き上げを行う英国では懸念も

 安倍首相は24日の経済財政諮問会議で、現在、全国平均798円の最低賃金を毎年3%程度引き上げて、全国平均1000円を目指すと表明した。これによって個人消費を活性化し、経済の好循環を促したい意向だ。フィナンシャル・タイムズ紙は、来年から大幅な引き上げを計画しているイギリスなど、最低賃金引き上げは世界的傾向だと語っている。とはいえ、賃上げは企業にとっては負担。雇用削減などの悪影響が心配されている。

◆最低賃金の設定は本来、首相の仕事ではないが
 安倍首相は実業界に対し、好循環の実現のため賃上げを強く訴えてきたが、今年度から、最低賃金の引き上げにも手を付けるようになった。ロイターは、日本政府は個人消費を増大させることを熱望しており、賃上げは政策立案者にとって喫緊の課題である、と語る。個人消費は、国内需要を押し上げて、日本経済を15年間のデフレから脱却させるのに極めて重要と考えられている、としている。

 だがそもそも最低賃金の設定は政府の役目ではない。労使代表や学識者からなる厚生労働省の諮問機関、中央最低賃金審議会が、毎夏、引き上げの目安を決定する。それをもとに各都道府県で、地方最低賃金審議会が地域の実情を踏まえて審議し、都道府県労働局長が最終的に決定する。発効日は各地で異なるが、10月初旬~中旬となっている。

 本来の仕事ではないことを安倍首相がしていることについて、フィナンシャル・タイムズ紙(FT)は、日本経済を刺激するための選択肢が安倍首相に不足していることを示している、と評した。ロイターは、安倍政権は、日本経済を改善できることを示す必要に迫られている、と語る。

 先ごろ発効された今年度の最低賃金は、前年より2.3%増、過去最大の上げ幅だったが、これも首相が7月の経済財政諮問会議で大幅引き上げの検討を指示した結果だった。

◆最低賃金引き上げはどの程度まで影響の広がりを持つのか
 首相が最低賃金に目を向けたのは、アベノミクスの恩恵が大企業とその雇用者に限られている、という国民の視線への配慮があったのかもしれない。FTは、政府が最低賃金に焦点を合わせるのは、大企業は記録的な収益を反映して、それなりに賃上げしている一方、その下請けや外注先には賃金上昇が広がっていないという政府の懸念を反映している、としている。

 では、来年度から3%程度の引き上げが実現された場合、どの程度の効果があると考えられているのだろう。

 FTは、上昇の出発点となる最低賃金の額が低いため、約200万人の雇用者にしか影響せず、消費の押し上げ効果はゆるやかだろう、と効果を限定的とみなしている。ちなみに、内閣府が7月に発表した資料によると、2014年度、最低賃金で働いていた労働者は約190万人程度、最低賃金+20円以下だと340万人程度、最低賃金+40円以下では510万人程度との推計だ。

 ブルームバーグの記事は、7月に今年度の引き上げ幅の目安が決まったときのものだが、その時の最低賃金780円は、ラーメンが1杯食べられるくらいの額だとしている。そして2.3%という上昇幅は、ラーメンに卵か焼き豚1枚が追加できればラッキーなぐらいのものだとして、雇用者はより大幅な引き上げを必要としていると語っていた。日本の最低賃金は、アメリカ、ドイツを含む他の多くの国よりも低い、と伝えている。

 そして、通常以上の大幅な引き上げがあれば、生活難にあえぐ低賃金労働者にとって助けとなるばかりではなく、労働市場が人手不足になっていることを考えると、政府が求めている給与の全体的な上昇に寄与するかもしれない、としている。3%という安倍首相の目標が出る前の記事ではあるが、広範囲の効果を期待する見方とみていいだろう。

 日本総研の山田久チーフエコノミストは、「一部企業は現在、人手不足に見舞われているのでおそらく、最低賃金引き上げは日本にデメリットよりもメリットを多くもたらすだろう」(ブルームバーグ)と語っている。引き上げの影響で、企業が雇用を削減するという懸念はあるが、人手不足の状況ではそれが緩和されるということだろう。

◆日本以上に大幅な引き上げを予定しているイギリスの懸念とは
 FTは、最低賃金の引き上げによって、低賃金労働者を抱えた企業は一般に、値上げか、雇用削減、生産性向上、利幅引き下げのいずれかを余儀なくさせられる、としている。

 大多数の経済学者はかつて、最低賃金(の導入や引き上げ)によって不可避的に雇用が失われると考えていたが、この10年、イギリスなどの国の経験に照らして、学界の見解には微妙な変化もみられるようになってきた、とFTは語る。イギリスでは、最低賃金の段階的な引き上げによる雇用への影響は最小限だったように思われる、としている。雇用は必ずしも(大幅に)減るとは限らない、ということだろう。

 最近の研究で、イギリスの雇用主は1999年以来、雇用者数を少なくするよりも、「全要素生産性」、すなわち企業が資本と労働力を生産に変える効率を高めることで対応していたことが分かった、とFTの他記事は述べる。だがこれについては、当時は最低賃金が比較的低かった、との指摘もあるという。イギリスがこれから経験しようとしている大幅な引き上げにも、過去の傾向が当てはまるかどうかは、不明だということのようだ。OECD(経済協力開発機構)加盟国中、フランスは最低賃金がトップクラスだが、失業率が約10%と高い。イギリスの最低賃金はいずれこのフランスの水準に並んでいくという。

 またFTは、イギリスの雇用主を対象に行ったアンケート調査の結果を紹介している。自社に最低賃金引き上げの影響がありそうか、あるとしたらどう対処していくか、といった質問で、あると答えた回答者の30%が、効率と生産性を改善することで対処すると答え、これが最多回答だったという。対して、リストラや新規採用控えによって対処するとしたのは、15%だけだったとしている。

 調査を行った機関のアナリストは、多くの企業が効率の改善によって対処するとしたことについて、これは心強いことだが、実際にこれを達成することは、多くの分野で大変だと判明するだろう、と警告している。

 FTのまた別の記事によると、OECDは、最低賃金引き上げ計画のために、イギリスの雇用が損なわれる恐れがある、と警告しているという。FTによると、イギリスの失業率は、2011年末時点の8.5%から、今年8月にはわずか5.4%まで下がった。計画はこの流れを反転させるかもしれない、というのだ。

 イギリス政府の諮問機関、予算責任局は、最低賃金引き上げの影響で2020年までに6万人程度の雇用が削減されると推測しているが、労働市場に対する影響は予測が非常に困難だともしているという(FT)。

Text by 田所秀徳