沈没したタイタニック号の現在|処女航海で散った豪華客船のその後
豪華客船による船旅は、さまざまな交通手段が登場した現在でも多くの人にとって憧れの存在だ。しかし、大海原の旅は常に安全であるとは言い難く、過去には多くの犠牲者を出した海難トラブルも発生している。世界各地で起こった海難事故の中で最も有名なのが、1912年に発生したタイタニック号の沈没事故だ。
本記事ではそんなタイタニック号について、船の経歴や事故までの経緯などの基礎知識、そして現在の私たちに与えた影響について取り上げていく。
目次
タイタニック号とは?
イギリスのホワイト・スター・ライン社が20世紀初頭に所有していた豪華客船、それがタイタニック号だ。多数のライバル社の参入により競争が激化していた海運分野において、画期的な二重底と防水区画を採用し、当時のメディアから「不沈船」と呼ばれる。
また、全長269.1mという当時としては世界最大のサイズと、豪華客船と呼ぶに相応しいゴージャスなデザインで、大西洋航路の女王を目指していた。
タイタニック号沈没事故の経緯
タイタニック号の悲劇的な末路について知っている人は多くとも、なぜ世界最悪の事故を引き起こしてしまったのか、その経緯を知らない人は珍しくない。ここでは、タイタニック号が沈没するまでの経緯について取り上げる。
氷山の警告
処女航海途中の1912年4月14日の22時40分頃、船首マストの見張りが氷山を発見した。当時の記録によると、双眼鏡で確認すべき海上の様子を何故か肉眼で確認しているが、これは双眼鏡の管理担当者が出港間際に配置換えによって乗船できなくなり、双眼鏡の所在が不明になってしまったからである。
それでも船は必死に氷山に対して回避行動を取るが、発見が遅れた影響もあり、船体は氷山に接触してしまった。結果、船首に最も近い5つの区画に水が入り込み、不沈船と呼ばれた豪華客船は沈没を始めた。
足りない救命ボート
船の沈没が避けられないと悟った船員たちは、すぐさま乗客たちの避難を開始する。しかし、当時船に乗っていた乗客約2,200人に対して、救命ボートの定員は1,187人のみで、乗客の半分程度しか救命ボートに乗れなかった。これは当時、救命ボートは緊急時に使用する船というよりもテンダーボート、つまり乗下船用ボートである意識が強かったためだ。
また、船員たちは事故を想定した避難訓練の経験がほとんどなかった。不沈船と呼ばれたタイタニックが起こした事故のショックも相まって、船が定員になる前に降ろしてしまうような避難時の不手際が多発し、被害が拡大した原因となった。
崩壊、そして沈没
事故発生から2時間40分後の4月15日2時20分、ついに船は沈没する。最初の救助船カルパチア号がようやく現れたときには沈没からすでに1時間40分以上が過ぎており、海に投げ出された人々の多くは極寒の海に浸かり、数分の内に心臓麻痺、または低体温症で死亡した。
最終的に生き残ることができた乗客の数は、約700人だった。不沈客船と呼ばれた豪華客船の処女航海は1,500人以上の犠牲者を出す未曾有の海難事故となり、国内外で大きな衝撃を与えることになる。
タイタニック号沈没事故の影響
イギリスの不沈船で起きた事故は、当時イギリス国内はもちろん、遠く離れた日本国内でも大きな話題となった。そしてこの事故は、現在を生きる私たちにも大きな影響を与えている。
法規則の刷新
タイタニック号沈没事故後、乗客や乗員に対する聞き取り調査などが行われた。その際、複合的な要因によって被害が拡大してしまったことが発覚。同じ事故を繰り返さないために、救助訓練を徹底することや救助ボートは船の定員と同じ人数を載せられる数を用意することなど、複数の法規則が作られることになった。
これらは1914年にSOLAS条約こと海上における人命の安全のための国際条約としてまとめられ、現在でも守られている。また、流氷などの観測データの共有も徹底されることが決まった。
文化的影響
タイタニック号沈没事故は、その悲劇的な末路からさまざまな創作のモチーフとなった。特に映画は事故から1カ月後に公開された『Saved From The Titanic』を筆頭に、フィクション・ノンフィクションを問わず複数製作されている。
その中でも一際高い知名度と人気を誇っているのが、ジェームズ・キャメロン監督が製作した、1997年公開の映画『タイタニック』だ。キャメロン監督本人の詳細な取材をもとに製作されており、ストーリー性のみならず当時の船内の描写にも定評がある。
現在のタイタニック号
かつての不沈船の悲劇的な沈没事故は、現在に至るまで多くの人々の間で語り継がれてきた。そんなタイタニック号の現在の姿について取り上げる。
現在も海底に眠る船体
船本体は現在も引き上げられることなく、大西洋の海に沈んでいる。最初に沈没した船が発見されたのは1985年のことだ。当初引き上げ作業が行われることも検討されたが、発見された時点で事故発生から70年以上が経過していた。そのため腐食が進んでおり、引き上げ作業の途中で船体が崩れ去る可能性があること、そして海の底で当時の姿を保っていることから、そのままにしておくのがよいと判断され現在に至る。
バクテリアによる腐食は現在も進んでおり、近い将来船体が錆の塊となったのち崩壊することが予想されている。
遺品と遺体の引き上げ
船が沈没したことで多くの人が犠牲となったが、現在でも遺体が見つかっていない犠牲者も少なくない。そのため、船内に遺体が残っている可能性が指摘されており、度々船体の回収作業問題とともに遺体が見つかった場合の扱いも議論の的になってきた。
また、引き上げられた船の部品や船員たちの遺品、レストランの食器などは世界中の展覧会で公開されており、持ち主が特定できたものについては遺族や本人に変換されている。2020年には無秩序な遺品回収から船体を保護するため、アメリカやイギリスなど複数の国による国際条例も発行された。
タイタニック号見学の潜水艇タイタン号の行方不明事故
事故から100年以上が経過した2023年、タイタニック号は新たな悲劇を招く。2023年6月28日、沈没した船体を見学するための潜水艇タイタン号が、ツアーに参加した5人を乗せたまま行方不明となる事故が発生した。懸命の捜索活動が行われるも、潜水艇の破片が見つかったことで、捜索チームは「潜水艇は海底で水圧に耐えきれなくなり壊滅的に破壊された」と判断。乗客5人全員が亡くなったとし、捜索活動を終えた。
事故に至った原因としては、潜水艇自体の安全管理の問題点などが指摘されている。また事故に至るまでの経緯がタイタニック号沈没の流れに酷似していることから、因果を感じる人も多い。
タイタニック号が現在の私たちに伝えるもの
タイタニック号の事故は航海に関する国際的なルールの制定など、多方面に大きな影響を与えた。そして映画をはじめとするさまざまな媒体を通じて、現在を生きる私たちにもその存在を示している。
タイタニック号はやがて海底で崩壊する運命にあるが、たとえ船体が風化しても事件を風化させてはいけない。タイタン号のような悲劇を繰り返さないために、今一度事故について考える必要がある。
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