ドイツ文学を代表するヘルマン・ヘッセの生涯|名言や代表作も紹介

ドイツ文学を代表するヘルマン・ヘッセの生涯|名言や代表作も紹介

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数多くの詩や小説を残したドイツ文学を代表する作家、ヘルマン・ヘッセをご存じだろうか。『車輪の下』や『デミアン』といった作品名を聞いたことがあるかもしれない。彼はどのような生涯を送り、どのような言葉や作品を残したのだろうか。

本記事では、ヘルマン・ヘッセのプロフィールやその生涯、名言をまとめて紹介する。

ヘルマン・ヘッセはどんな人?

ヘルマン・ヘッセはどんな人?

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ヘルマン・ヘッセは、20世紀前半に活躍したドイツの作家である。詩や小説は日本でも愛され、教科書にも掲載されているほどだ。本記事ではまず、ヘルマン・ヘッセのプロフィールやその生涯をまとめて紹介する。

ヘルマン・ヘッセのプロフィール

名前ヘルマン・カール・ヘッセ(Hermann Karl Hesse)
生年月日1877年7月2日
国籍ドイツ、スイス
没年月日1962年8月9日

2つの世界大戦を経験し、20世紀前半の激動のヨーロッパを生きたヘルマン・ヘッセ。特に第一次世界大戦に大きな影響を受け、現代文明や当時のナチス政権に対する批判、平和主義の考えを作品にしていった。ドイツのナチス政権からは、紙の配給を止められるなどの妨害を受け、スイスに移り住んで執筆活動を続けた。

主な代表作は以下のとおり。

  • 『郷愁』1904年
  • 『車輪の下』1906年
  • 『春の嵐』1910年
  • 『少年の日の思い出』1911年
  • 『デミアン』1919年
  • 『シッダールタ』1922年
  • 『知と愛』1930年
  • 『ガラス玉演戯』1943年

ヘッセは1946年にノーベル文学賞とゲーテ賞を受賞している。

ヘルマン・ヘッセの生涯

ヘルマン・ヘッセは1877年7月2日、ドイツ南部の都市カルフに生まれる。4歳の頃から詩を作り、難関であったマウルブロンの神学校に入学するなど賢い子どもであった。一方、精神的に不安定でもあり、学校や仕事からすぐに脱走したり自殺未遂を繰り返したりすることもあった。『車輪の下』や『少年の日の思い出』では、自身の少年時代を描いている。

幼いころから「詩人になりたい」という夢を持っていたヘッセは、職を転々としながら執筆活動に没頭する。第一次世界大戦時はドイツの捕虜救援機関で働いていたが、戦争や父の死などをきっかけに自身もうつ状態に陥った。この時期は彼の人生の大きな転換期となり、深い精神世界を描いた『デミアン』を匿名で出版する。

スイスに移り住んでからも作品を執筆し続けたヘッセ。1962年、85歳のときにスイスにあるモンタニョーラと呼ばれる村で亡くなった。

ヘルマン・ヘッセの名言9選

ヘルマン・ヘッセの名言9選

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ヘルマン・ヘッセは詩人や小説家として数多くの作品を生み出し、名言も残してきた。ここからは、ヘッセの名言を以下の2つに分けて紹介する。

  • 人生を豊かにする名言
  • 学問や芸術に関する名言

人生を豊かにする名言5選

「人生の義務はただひとつしかない。それは幸福になることだ」

第一次世界大戦と第二次世界大戦を経験したヘルマン・ヘッセ。幸福になることを求めて生きることは義務であると語っている。社会の中で生きていると、やらなければならないことは多いと感じるが、シンプルに幸福のみを追求すると楽になるかもしれない。

「真剣に考えるべきことを学んだら、残りは笑い飛ばせばいい」

人生には運の要素も多分にある。勉強や努力はもちろん必要だが、やるべきことをやったあとは考えすぎずに気楽にいればいいという名言。

「はかなさがなければ、美しいものはない。美と死、歓喜と無常とは、互いに求め合い、制約し合っている」

美しいものははかなく、はかなくなければ美しくない。ヘッセは、はかなさや死の概念があるからこそ美しさがあるとした。

「君がどんなに遠い夢を見ても、君自身が可能性を信じる限り、それは手の届くところにある」

ヘッセは精神的に安定しない青年期を送ったものの、詩人になりたいという夢を持ち続けた。働き始めてからは詩集を自費出版し、夢に向かって進む。信じれば可能性はなくならないだろう。

「地上には多くの道がある。けれど、最後の一歩は自分一人で歩かねばならない」

人生はあらゆる場面で選択する必要がある。ヘッセが生きた時代よりも選択肢は多いからこそ、責任と覚悟を持って自分の人生を選択することが大切である。

学問や芸術に関する名言4選

「人生が生きるに値するということこそ、すべての芸術の究極の内容であり、慰めである」

ヘルマン・ヘッセは、あらゆる芸術は人が生きることを肯定しているとした。この考えを持って芸術に触れることで、心が救われることもあるだろう。

「学問とは相違を発見することに没頭することにほかならない。学問とは識別の術である」

識別とは、物事を認識して種類や性質の違いを見分けることを意味する。ただ知識を頭に入れるだけでなく、ほかとの違いは何なのかを考えることが学問であるとヘッセは考えた。

「詩は音楽にならなかった言葉であり、音楽は言葉にならなかった詩である」

ヘッセは詩だけでなく音楽も愛した。音楽のことを詩と捉えていることから、やはり詩に対する愛が大きかったことがうかがい知れる名言である。

「おそらくすべての芸術の根本は、そしてまたおそらくすべての精神の根本は、死滅に対する恐怖だ」

ヘッセはあらゆる芸術の根本には死に対する恐怖があると考えた。2つの世界大戦や両親の死に大きな影響を受けたことから、死について考え恐怖していたヘッセがうかがい知れる。

ヘルマン・ヘッセの主な4つの作品

ヘルマン・ヘッセの主な4つの作品

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ヘルマン・ヘッセは数多くの詩集や小説を出版している。ノーベル文学賞も受賞している、ヘッセの作品を味わってみてはいかがだろうか。本記事では、ヘッセの代表作3作とヘッセの言葉をまとめた本を紹介する。

車輪の下

車輪の下

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『車輪の下』は1905年に発表された長編小説。少年時代のヘッセを題材にした自伝的な小説である。

主人公のハンスはエリートを養成する学校に好成績で入学し、周囲の期待に応えようと努力する。しかし、勉強一筋の人生に疑問を感じ、次第に心身が疲弊していく。詩人になりたいと願いながらも勉学に励み、精神的に苦しんだ自身の体験を物語にした作品。

シッダールタ

シッダールタ

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『シッダールタ』は1922年に出版された小説。シッダールタとは、釈迦が出家する以前の名前である。

釈迦が出家する以前、求道者として悟りの境地に至るまでの苦行や経験を描いた作品である。ヘッセは本作でノーベル文学賞を受賞し、1972年には映画化もされている。日本でも親しまれている作品であり、何度も日本語訳版が出版されている。

デミアン

デミアン

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1919年に発表された『デミアン』は、教養小説であり青春小説でもある作品だ。ドイツの戦争を批判したことによる中傷や、父親の死などによって精神的に疲弊していたヘッセ。さまざまな苦しみを乗り越えながら執筆した作品である。

ラテン語学校に通っている主人公のエーミール・シンクレール。些細な理由から不良少年に脅されてしまう。その苦境を救ったのは、友人のマックス・デミアンであった。自己の探求をテーマとし、それまでのヘッセの作風とは異なる小説となっている。

超訳 ヘッセの言葉

超訳 ヘッセの言葉

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『超訳 ヘッセの言葉』は、ディスカヴァー・トゥエンティワンから2015年に出版されている書籍。ヘルマン・ヘッセの小説や詩から230の言葉を紹介し、ヘルマン・ヘッセの考えを学べるおすすめの本である。

ヘルマン・ヘッセの人生を理解して作品をより深く楽しもう

ヘルマン・ヘッセは美しい詩や青春小説を多く残している。スイスの綺麗な風景も執筆に影響しているだろう。しかし、後期の作品は反権威主義を主張する者も多く、力強く生きた彼の人生が写し出されている。

戦争体験や両親の死など、苦しみを感じた経験は彼の作品に大きな影響を与えている。幼少期の苦しみを物語に落とし込んだ『車輪の下』や第一次世界大戦中に書かれた『デミアン』など、彼の人生を理解することでより深く作品を楽しめるだろう。

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Text by NewSphere 編集部