キスはかつて「契約」だった? 財産から犯罪まで、法律が映す意外な歴史

キスをするカップルの彫刻(イタリア・フィレンツェ)|Paolo Gallo / Shutterstock.com

 愛情を伝える何気ない行為に見える「キス」。しかし歴史をさかのぼると、その意味は愛情だけにとどまらない。時代や文化によって、あいさつや儀式、約束、服従のしるしとなり、時には犯罪として扱われてきた。

 アメリカ・カンザス大学法科大学院のアンドリュー・トーランス教授が、キスをめぐる法律の歴史を分析した論文を学術誌『Evolution and Human Behavior』に発表した。進化生物学や人類学、心理学の知見も踏まえながら古代から現代までをたどると、社会がキスをどう捉えてきたか、その大きな変化が浮かび上がる。

◆キスは世界共通の愛情表現ではない
 そもそも、恋愛や性的な意味で口同士を重ねるキスは、人類に共通する行為ではないという。

 論文が引用した168の社会を対象とする先行研究では、恋愛・性的な意味で口へのキスをする文化が確認されたのは約46%だった。半数以上では確認されておらず、愛情を別の行為で表現する文化もある。

 キスの意味が文化によって異なるのであれば、それをどう扱うかも一様ではない。論文では、古代メソポタミアの記録や古代ローマの慣習、中世ヨーロッパの儀式、ピューリタン社会の「ブルー・ロー」と呼ばれる道徳規制などをたどり、キスが称賛されたり、規制されたり、社会的な支配の手段になったりしてきた歴史を分析している。

◆「財産」「契約」としてのキス
 現代の感覚からすると意外なのが、キスが「財産」の問題として扱われてきた歴史だ。

 カンザス大学の発表によると、法制史上、キスはある人に属し、本人が与えることも、他人が不当に奪うこともできるものとして捉えられたことがあった。一部の社会では、若い女性へのキスについて、家父長の同意なく行えば相手が処罰されたり、女性が貞節を失ったとみなされたりすることもあったという。

 そこには、女性や子供を父親や夫の支配下に置くという、現代とは大きく異なる考え方があった。

 一方、キスは「契約」とも深く結びついてきた。結婚から商取引、さらには違法な取り決めまで、さまざまな合意がキスによって確認されることがあった。

 トーランス教授は、その多義性を示す例として、犯罪組織のボスが別のボスの手にキスする場面を挙げている。それは敬意の表明かもしれず、服従を示しているのかもしれない。あるいは何らかの合意を示す行為とも考えられる。同じキスでも、誰が誰に、どのような状況でするかによって意味は大きく変わる。

◆現代は「誰のものか」から「同意したか」へ
 時代が下るにつれ、法律がキスを見る視点も変わっていった。望まないキスは他人の権利を侵害する行為と考えられるようになり、不法行為や刑法の問題として扱われるようになった。現在では世界の多くの社会で、同意のないキスが暴行や性的暴行とみなされる場合がある。

 ただし、キスをめぐるルールは今も世界共通ではない。人前でのキスがごく普通の社会がある一方、地域によっては、双方が同意していても公の場でのキスが法的問題につながることがある。

 法律の適用も常に平等だったわけではない。トーランス教授は、同性カップルや異なる人種間のカップルが、ほかの人々なら問題にされないような愛情表現で逮捕されたり、処罰されたりしてきた歴史も指摘する。

 論文は、こうしたキスの法的な位置づけを、財産法、契約法、不法行為法、刑法という4つの観点から整理している。

 そこから見えてくるのは、「キスを誰が支配するのか」という発想から、キスをする本人たちの身体的な自己決定や「同意」を重視する方向への変化だ。

 トーランス教授は、法律は人間の行動を縛るルールだけではなく、社会が何を大切にし、ある行為をどう捉えているかを映すものでもあると指摘する。

 愛情のあるキスをしたことで誰かが不当に罰せられることなく、一方で望まないキスを受け入れることも強いられない。そのためには、古い道徳観による規制や差別的な法の適用を避けながら、同意を明確に守る必要があると論文は論じている。

 身近な愛情表現であるキス。その長い法的な歴史をたどると、社会が個人の自由や平等、身体、そして「同意」をどう考えてきたのかまで見えてくる。

Text by 白石千尋