祝日になった奴隷解放記念日、思いを馳せる海外在住アフリカ系アメリカ人

Yuri Kageyama / AP Photo

 アメリカでは6月19日、連邦政府の承認後2度目となるジューンティーンスの祝日を迎えた。海外在住のアフリカ系アメリカ人は改めてこの記念日に思いをめぐらせ、お世話になっている国で黒人の歴史を広く知ってもらう機会として活用している。

 リンカーン大統領による奴隷解放宣言から2年後の1865年6月19日、テキサス州ガルベストンで最後の奴隷とされた人々に自由が告げられて以来、アフリカ系アメリカ人はこの日を祝ってきた。昨年、バイデン大統領は連邦政府として迅速にこの日を祝日に認定した。

 リベリアでは、ニュージャージー州ジャージーシティ出身のサカー・アハ・アヘルシュ氏(45)により、同国で初となる「ジャーニー・ホーム・フェスティバル」が開催された。同氏は「イベントを開催したのは、アフリカ系アメリカ人の歴史にはまだ十分に理解されていない部分があるから」と述べている。

 アフリカ最古の独立国であるリベリアは1822年、アメリカから西アフリカに戻ってきた解放奴隷によって建国され、今年は200周年にあたる。

 アフリカ系アメリカ人の海外への移動状況を調べた公式統計はないものの、警察がジョージ・フロイド氏を殺害した事件以降、黒人の移動について自由闊達な議論がいっそう行われるようになっている。そして多くのアフリカ系アメリカ人が「外部の視点からアメリカを見つめ直し、帰国をしない」という選択をした。

 ディベートコーチのタシナ・ファーガソン氏(26)はエリック・ガーナー窒息死事件が起きた2014年、ニューヨークに居住していた。2019年に韓国に移住すると、マーシャ・P・ジョンソン研究所の資金調達ブランチで、ドラッグパフォーマーの集団とともに6月19日のジューンティーンスを祝う計画を立てた。新たに制定された連邦政府の祝日について、複雑な思いを持っているという。

 同氏は「ジューンティーンスの商業的価値は『メッセージをTシャツに書き込んだり、アイスクリームの缶に貼ったりする』程度になってしまった。でも、ブラックコミュニティにいる1人の黒人として『そうだ、自分たちでお祝いしよう』と思うようになった」と話す。よほどのことがない限り、帰国することはないという。

 海外への移住を計画しているか、すでに移住したアフリカ系アメリカ人と定期的に話をしているのは、ニュージャージー州に住むクリシャン・ライト氏(47)だ。ポッドキャスト「ブラグジット・グローバル」を運営しており、番組ゲストの多くがアメリカに不満を持っているという。

 同氏は「アメリカンドリームと呼ばれるものを実現しようと懸命に努力してきた。ただ、成功の尺度は常に変化している。老後に向けた生活、奨学金の返済、家計の維持など、とても安心できる状態とは思えない」と語る。来年には、ポルトガル移住を考えているという。自身のポッドキャストを通じて、首都リスボンでジューンティーンスの祝祭が行われるのを知った。

 黒人人口が多いところでは、ジューンティーンスがすでに生活の一部になっているところもある。ミシシッピ州出身のラトーニャ・ウィタカー氏の日本居住は17年に及ぶ。同氏はレガシー・ファンデーション・ジャパンのエグゼクティブ・ディレクターを務めている。この団体は、6月18日に東京アメリカンクラブで約300人が集うジューンティーンスのイベントを開催した。夫のデービッドも同じように、当初は日本で生活するつもりはなかったという。

 ウィタカー氏も含め、ジューンティーンスのイベントに参加した多くの黒人はキリスト教宣教師や平和部隊のボランティアなど、たまたま来日した人々だ。だが、日本に住むことに決めたという。アメリカで頻発している銃乱射事件が気がかりな同氏は日本で子育てをしたいと思っており、「コミュニティが必要だと感じた」と語る。

 東京のテンプル大学でアフリカ系アメリカ人の歴史を教えているマイケル・ウィリアムズ氏(66)も、22歳の時にアメリカを旅立った。成人してからはほぼ海外で暮らしているが、大学院時代はボストンとボルチモアで過ごした。同氏は「アメリカは大きく変わってしまった、久々に訪れると観光客の気分になる」と笑みを浮かべながら話している。歴史を教えているため、ジューンティーンスのことは知っていたという。

 ウィリアムズ氏は「授業の終わりには、いつかこの日が国民の祝日になればと思っていた。そしていま、それが実現した。素晴らしいことだ」と話す。

 台北では、トイ・ウィンダム氏とケイシー・アボット・ペイン氏がジューンティーンスを祝う複数のイベントを開催している。「ブラック・ライブズ・マター台湾」のメンバーでもある2人は、黒人アーティストやミュージシャンの公演も主催している。ジューンティーンスが連邦祝日となるかなり前から、家族とともにこの日を祝ってきた。

 ウィンダム氏は台湾に移住して5年になるが、テキサス育ちのためいつもこの日にお祝いをしていたという。この日はアメリカ文化のさまざまな側面を、闇を抱える部分も含めて啓蒙する良い機会だとした上で「多くの人はヒップホップ文化や独特の衣装、黒人文化の一部に楽しみを見出しているが、私はこの文化のすべてを知ってもらうことが重要だと感じている」と語る。

 主催者のペイン氏も台湾に移住して11年になる。全米のなかでもジューンティーンスの祝祭で長い歴史を持つミルウォーキーで育ったこともあり、以前からこの日を祝ってきた。同氏は「子供のころ、通りには屋台が並び、音楽が流れ、ジューンティーンス・パレードが行進していたのを覚えている」と話す。

 多くの人にとっては、この日はリラックスして楽しく過ごし、骨休めをする日でもある。

 バンコクでは「エボニー・エクスパッツ」という集団が無声映画の上映会、自然保護区でのサイクリング、ジャマイカ料理店でジャークチキンとパンプキンスープを振る舞うディナーイベントを企画した。

 レストランを経営しているコリン・クリフォード・マッコイ氏は20年間兵役に従事した後、新型コロナウイルスのパンデミック発生時に店舗を開業した。アメリカ人であろうとなかろうとジューンティーンスの祝日とは、遠く離れていながらも黒人が自分たちの文化を共有する機会であるとしている。

 同氏は「要は、どこにいても集まることだ。一緒になって楽しむと、コミュニティとしての血が深いところで流れているのを実感する」と話す。

By ANNIKA WOLTERS Associated Press
Translated by Conyac

Text by AP