ヴァージル・アブローの死:「新しい追悼」と、そこに表れた素のアブロー
ガーナ系アメリカ人ファッションデザイナーのヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)が11月28日、心臓血管肉腫という稀ながんのため41歳の若さで亡くなった。彼の親しい友人・知人たちは、彼のメッセージのスクリーン・ショットを共有することで彼の死を悼んだ。彼の功績とSNS時代の新しい追悼の形とは。
◆ヴァージル・アブローの軌跡
アブローは1980年、ガーナ人移民の両親のもとシカゴで生まれた。裁縫師である母親から服作りについて学んだという。2002年、ウィスコンシン大学マディソン校の土木工学部を卒業し、その後、イリノイ工科大学にて建築の修士号を取得。大学キャンパス内にて新たに完成した、著名な建築家レム・コールハース(Rem Koolhaas)が手がけた建築がきっかけとなり、ファッションへの興味が目覚めたという。コールハースはイタリアのファッションハウス、プラダとの協業でも知られている。大学時代、後のコラボレーション・パートナーとなるカニエ・ウエストと知り合い、2人はともにフェンディのローマ事務所でのインターンを経験。2010年には、アブローはウエストが立ち上げたクリエイティブ・エージェンシーのクリエイティブ・ディレクターに正式に就任した。
2012年、アブローは最初のブランド「パイレックス・ヴィジョン(Pyrex Vision)」をロンチ。40ドルで買い付けたデッドストックのラルフ・ローレンのシャツに、スクリーン・プリントを施し、550ドルで販売した。翌年、パイレックス・ヴィジョンをクローズして、新たなブランド「オフ・ホワイト(Off-White)」を立ち上げた。ブランド名は黒と白の間のグレー・エリアを意味する。ミラノを拠点に立ち上がったオフ・ホワイトの主なドメインはファッションだが、ストリート・ウェア、ラグジュアリー、アート、音楽、旅を組み合わせたマルチ・ドメインのプラットフォームである。2014年のパリコレでコレクションを発表。翌年には若手ファッションデザイナーの育成・支援を目的としたLVMHプライズのファイナリストに選出された。
2018年、アブローはルイ・ヴィトン、メンズウェア・コレクションのアーティスティック・ディレクターに就任。同年、タイム誌の世界で最も影響力のある100人の一人にも選ばれた。ファッション以外のドメインでは、2016年に家具コレクションのグレー・エリア(Grey Area)を発表。2017年以降の村上隆とのコラボレーション展示など、アートの分野でも活躍した。オフ・ホワイトは、イケアやナイキなど世界のグローバル・ブランドとのコラボレーション商品でも知られている。2020年には、黒人のファッション学生に対する100万ドル規模の奨学金プログラムも立ち上げた。
2021年、LVMHグループはオフ・ホワイト社の60%の株を取得し、支配株主となることを発表(残りの40%は、アブローが所有)。同時に、LVMHグループにおけるアブローの役割の拡大も示唆されていた。アブローは2019年に心臓血管肉腫という攻撃的かつ稀ながんであると診断されたが、2年間、病気を公表することなく活動を続けていた。
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