安全保障の視点から新型コロナパンデミックを考える

Issei Kato/Pool Photo via AP

◆安全保障としての新型コロナパンデミック
「安全保障の視点から新型コロナパンデミックを考える」ということには、二つの意味がある。

 一つは、安全保障論には人間の安全保障という概念がある。これは、1994年の国連開発計画(UNDP)による人間開発計画報告書のなかで初めて公に取り上げられた考え方で、国の領土保全や政治的独立だけでは人間の安全は保障されないという視点から、個人の人権や安全に焦点を当てた安全保障である。この人間の安全保障に対する脅威には、難民、内戦、人権侵害、食糧危機、感染症、環境悪化、人口爆発、大量破壊兵器の拡散などがあり、新型コロナはまさにこの感染症に含まれる。

 もう一つは、国家の安全保障である。国家の安全保障とは、安全保障という言葉を辞書で引けばわかるとおり、基本的には、敵対国から自国の平和と安定を守るという、国家の存亡や戦争時代を想像させる考え方だ。これを新型コロナと関連付けると、新型コロナはまさに国家の存亡や緊急事態に関わる問題であることは明らかである。

 筆者が伝えたいことは後者である。新型コロナのように、国家の存亡や緊急事態に関わる事態においては、たとえ成熟した民主主義国家においても、必要最小限の政府による統制(コントロール)は必要だ。当然ながら必要以上、過剰であってはならないが、欧州やインドなどほかの民主主義国家においては、感染が緊急事態レベルに達すれば、不必要な行動は禁止され罰金などが課せられた。国によって状況が異なるので一概には言えないが、日本も早い時期から「新型コロナは安全保障問題」としてもっと強制力のある措置を取っていれば、これほどの感染状況(感染者数と死亡者数)にはなっていなかったのではなかろうか。

 日本人は平和ボケしているとよく言われるが、それは決して間違っていない。平和や経済的繁栄は自然にあるものではなく、人間の努力によって作られるものだ。今後は今回のコロナ禍を教訓として、日本はこのような感染症を国家安全保障の問題と位置づけることが重要だ。

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Text by 和田大樹