「つり目」で中国人揶揄 イタリアTVで人種ジョークが行われる背景

ミッシェル・フンツィンカー氏|Andrea Raffin / Shutterstock.com

 ベルルスコーニ氏については、ファッションサイト『nssマガジン』のエディター、ロレンツォ・サラモーネ氏が今回の騒動への見解を述べるなかで触れている。

 サラモーネ氏いわく、80年代、90年代にイタリア社会は多文化的(多民族的)になり、メディアの自由化とベルルスコーニ氏のメディア覇権によって、テレビで人種に関して悪いジョークを表現することが肯定的に捉えられた。ストリッシャ・ラ・ノティツィアは、当時のコンセプトをいまだに持ち続けているのだ。

 米ABCニュースによると、同番組のプロデューサーたちは、ストリッシャ・ラ・ノティツィアは風刺であり、世界中の風刺やマンガ番組と同様、政治的に正しわけではなく、謝る必要はないと謝罪を拒否したという。

◆蔑視・からかいに慣れた世代
 もう一つ、今回の騒動の裏には、イタリア人一般の意識の問題もあるようだ。イタリアの事情に詳しいスイス在住ジャーナリストの中東生さんは、次のように指摘する。

「まず、これはカナーレ5の番組なので、右寄りの排他的な表現が許容される環境で作られているのでしょう。次に、外国人との共生の歴史が浅いことも挙げられます。イタリアには難民は多いですが、たとえばスイスやドイツに比べて移民は少なく、外国人慣れしていません。30年ほど前には、街を歩いていると「チネーゼ(中国人)?」と露骨にからかったような声をかけられるのに慣れていたほどです。ですが、時代は変わりました。現在は多くの中国人労働者がテキスタイルなどの工場で働いています。新型コロナウイルスも、彼らが里帰りしてきた後にイタリアの工場地帯を中心に感染拡大したと言われています。そんな背景を受けて、司会者たちの世代は、目を吊り上げて笑いを取るくらいは許されるだろう、と深く考えずに行動したのかもしれないですね」

 先のサラモーネ氏も、「すでに社会は変わり多文化主義は現実のことであるのに、いまだに80年代のユーモアの観点で考えている世代と、文化的統合に慣れている若い世代との間には対立が生じてしまいます」とイタリア社会全体が成熟し切れていない様子を語っている(同上)。

Text by 岩澤 里美