嘴型からN95まで マスクの歴史とパイオニアたちの物語

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◆N95マスクのイノベーション
 もっとも効果的とされている医療用マスクN95の開発に貢献した人物の一人が、台湾系アメリカ人の研究者ピーター・ツァイ(Peter Tsai)だ。ツァイは、10年以上かけてN95マスクの素材である帯電した繊維の開発に従事。1981年に台湾から渡米し、カンザス州立大学で500単位以上履修した後、物質科学の博士号を取得した。その後、2018年の引退までテネシー大学にて教職についていた。

 テネシー大学にて、ツァイが率いた研究グループは、静電気を帯びた繊維を通して粒子を引き寄せ空気をろ過する素材を開発。この素材は、極性を生じて帯電し、ほこり、細菌、ウイルスなどの粒子を引きつけることで、フィルター機能を発揮する。もともとは家庭用フィルターなどのために開発された素材だが、1996年にN95マスクがウイルスを引きつけブロックできることを発見した。

 一方、N95のカップ型のマスクデザインに貢献したとされるのが、プロダクト・デザイナーのサラ・リトル・ターンブル(Sara Little Turnbull)だ。ターンブルは、1917年にニューヨーク州ブルックリン生まれのデザイナーで、現在、パーソンズ美術大学として知られる名門校を卒業している。在学中は現在メイシーズ(Macy’s)として知られる百貨店マーシャル・フィールド・アンド・カンパニー(Marshall Field & Company)のプロダクト・パッケージデザイン部門などでも経験を積んだ。卒業後は、インテリア雑誌「ハウス・ビューティフル」の装飾関連の編集者として働いた。

 1958年、ターンブルは独立し、デザイン・コンサルティング会社を立ち上げた。また同年、既存のプロダクトデザインは、エンドユーザーである主婦の目線が欠けているとして公に批判を表明。そのことがきっかけで3Mのプロダクト・デザインに携わることになった。ターンブルは当時新しい素材として登場したばかりの不織布の活用方法に関して、3Mに対していくつも提案を行った。不織布には、さまざまな形状をかたどることができるという特徴がある。提案のなかから、3Mがまず採用したのがブラジャー・カップだったが、ターンブルはより大きな可能性のある領域として、マスクへの活用も提案した。当時、彼女が親族の看病で病院によく出入りしていたことが、ひとつのきっかけとなったようだ(NPR)。

 1961年、ターンブルのデザインをベースに3Mは最初の軽量型医療マスクの特許権を取得。ブラジャー・カップのようなものにゴムがついていて、鼻の部分にはクリップがついたN95の原型的なデザインである。初期のマスクは、医療用としての効果が認められなかったが、1972年、3Mは工事現場の作業員を粉塵から守るものとして、マスクをリリースした。

 そして1995年、ツァイのグループが開発した帯電したフィルター素材と、3Mが製造していたマスクのデザインを融合したN95マスクの特許権が取得された。N95は、0.3μmの微粒子を95%以上捕集できることが確認されているマスクだ。不織布の繊維の間に発生した静電気が微粒子を吸着することで、病原菌の侵入を防ぐ効果があるとされている。

 ヨーゼフ・シュンペーターは、イノベーションを新しい結合(new combinations)だと定義しているが、N95の誕生は科学とデザインが時を超えて結実した、まさにイノベーティブな事例である。

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Text by MAKI NAKATA