嘴型からN95まで マスクの歴史とパイオニアたちの物語

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 パンデミック対策として、世界各地の人々にとっての必需品となったマスク。感染症蔓延を防ぐ、シンプルなソリューションだが、医師や研究者、デザイナーといったさまざまなプロフェッショナルが、その開発に関与した。マスクの歴史と開発者たちのストーリーとは。

◆ペストの歴史とマスクの誕生
 ペスト菌による感染症であるペスト(plague)によるパンデミックが、これまでの歴史において3度発生している。最初のパンデミックは、541-544年に起こったユスティニアヌスのペスト(The Justinian Plague)、そして第二のパンデミックが、14世紀以降欧州で流行し、いわゆる黒死病として知られているもので、その後、17世紀に至るまで感染が続いた。そして第三のパンデミックが、1894年に香港で確認され、大流行した出来事である。

 医療用マスクの歴史は、第二のパンデミックを経た、17世紀に遡るとされている。いわゆるペスト医者(plague doctor)と呼ばれるペスト患者の訪問医が防護服とともに、嘴がついたマスクを着用し始めた。このペスト医者のマスクは、1619年にフランス王のルイ13世に仕えていた医師シャルル・ド・ロルム(Charles de Lorme)が考案したとされる。当時、ペスト感染の原因が瘴気(しょうき)であると考えられていたため、嘴がついたマスクは主にその悪臭から身を守ることがその役割で、嘴部分にはドライフラワーやハーブなどが詰められていた。

 いまでも使われているようなマスクの開発と普及に貢献したのが、マレーシア生まれの中国系医師、伍連徳(ごれんとく、Wu Lien-the)だとされている。伍は、第三のパンデミック、とくに1910-11年に発生した満州ペストの原因究明と対応にあたった。当時、地域では中国とロシアによる資源をめぐる利権抗争が発生しており、ペストの原因究明と対応は両国にとって、覇権のための重要課題であった(NPR)。対応のために当時清朝から声がかかったのが、英ケンブリッジ大学で学位を取得し、中国で活躍し始めていた若き医師、伍であった。彼は、当時の中国では稀であった感染者の病理解剖を行うなどして、感染が呼吸器飛沫によるものであることをつきとめた。当時、ペスト感染はネズミや感染した体液などを通じて起こると思われていた。

 伍は、感染対策のための除菌、ソーシャルディスタンス、隔離などの提言を行ったほか、医療従事者やエッセンシャル・ワーカー保護のためのマスクの開発にあたった。当時、医療従事者ではなく手術中患者を、傷口からのおもわぬ汚染から守るために、医師らはすでに一枚重ねのシンプルな手術用マスクを着用していた。伍は、マスクにガーゼのレイヤーをエア・フィルターとして重ねた、飛沫感染防止のためのマスクを開発した。彼が、医療従事者がエア・フィルターつきのマスクを着用することを提案した際、フランス人医師ジェラルド・メズニー(Gérald Mesny)は、伍のことを「チャイナ・マン」と呼び、蔑んだ。そして、満州に赴き、伍の発見と提案を無視してマスクをせずに感染者の対応を行ったため、数日後に死亡した(CNN)。メズニーの死後、マスクが飛躍的に普及したとされる。

Text by MAKI NAKATA