欧州の大流行、変異株が夏季休暇で拡散か 「対岸の火事」の危険

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◆歴史に学ぶ対岸の火事ではない理由
 遠いヨーロッパでの変異など、日本からみれば、対岸どころか視界にも入らない場所での火事なのだろうか?

 いや、そうではない、と明言するのは、イスラエルの歴史学者・哲学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏だ。『サピエンス全史』などの著作で知られる同氏は、パンデミックの発生以来、複数のメディアに新型コロナに関連する考察を寄稿している。そのうちタイム誌に寄せた「人類はコロナウイルスといかに闘うべきか―今こそグローバルな信頼と団結を」では、人類がこれまでに闘ってきた感染症の例を丁寧にひも解き、そこから学ぶべき点を次のように指摘する。「第一に、国境の恒久的な閉鎖によって自国を守るのは不可能であることを、歴史は示している」(邦訳記事)。交通網の発展した現代とは比べ物にならない中世でさえ、感染症は難なく世界中に広がったのだ。ましてや、現代において、完全な鎖国はありえない。たとえ旅客を止めたとしても、物流がある限り海運も空運も止まることはないからだ。

 だからこそ、変異には細心の注意が必要だ。ハラリ氏は、エボラウイルスを例にとり変異の怖さを示している。曰く、「エボラウイルスが(中略)猛威を振るう感染症に変化したのは、西アフリカのマコナ地区のどこかで、たった1人に感染したあるエボラウイルスの、たった1つの遺伝子の中で起こった、たった1度の変異のせいだった」。同じことは新型コロナにも言える。つまり、たとえ日本の新型コロナ患者が皆無になったとしても、別の国で感染の連鎖が続き、変異を繰り返せば、それが日本人にとっても「直接の脅威」となり得るのだ。そのため「新型コロナウイルスにそのような機会を与えないことは、全世界の人にとって共通の死活問題」となる。言いかえると「あらゆる国のあらゆる人を守る必要」があり、これはまた、ハラリ氏の説く歴史から学べる2つ目の点に結びつく。「第二に、真の安全確保は、信頼のおける科学的情報の共有と、グローバルな団結によって達成されることを、歴史は語っている」。

 ハラリ氏の寄稿文は柴田裕之氏の邦訳でWeb河出サイトで公開されている(フィナンシャル・タイムズ紙記事翻訳ガーディアン紙記事翻訳)。いずれも示唆に富む内容だ。一読すれば、鎖国や無関心といった排他主義が問題の解決にならないことを、いま一度確認できるであろう。

Text by 冠ゆき