続く人種差別と、社会に潜む「見えない」カースト

クリックス店舗前でデモをするEFF支持者|Shiraaz Mohamed / AP Photo

◆黒人差別と「見えないカースト」
 クリックスの差別広告に対する抗議行動は、暴徒化することはなかったが、Black Lives Matterや反人種差別の抗議行動が、米国から世界中に広がり、より多くの人々が人種差別に対して敏感になっている状況下、不満や怒りはまた別の形で噴出しうる。さらには、差別的な表現はクリックスが例外というわけではない。過去、H&MやZaraも人種差別的な洋服デザインで物議をかもした。日本でも日清食品のアニメ風広告における大坂なおみの描写が問題になった。なぜこのような差別的表現が繰り返されてしまうのだろうか。

 米国における黒人や、ある社会におけるマイノリティ・グループに対する差別や差別的表現が繰り返されてしまう構造的課題の一つに、意思決定組織に黒人やマイノリティが参画でききれていないという状況がある。たとえ、意思決定者に人種差別的な考えや意図がなくても、結果的に、配慮のない広告表現や危害を与えうる差別的表現に対して、危険信号が発せられることがないまま、承認と実行に移ってしまうというケースは少なくないだろう。

 しかし、意思決定組織に黒人やマイノリティ・グループのメンバーが参加していたとしても、差別の構造的な問題がすべて解決するわけではない。差別が生まれる組織や人間関係の骨格には、力関係のヒエラルキーが存在しているからだ。

 このヒエラルキーに関する書籍として、先月、ピューリッツァー賞受賞のジャーナリスト兼執筆家のイザベル・ウィルカーソン(Isabel Wilkerson)が、最新作『Caste:The Origins of Our Discontents(カースト:私たちの不満の起源)』を発表。発刊まもないが、米国で強い影響力を持つオプラ・ウィンフリーのブック・クラブ選書の一つになったこともあって認知度が拡大。とくに英語圏で話題になっている本だ。ウィルカーソンは、現在の米国社会、インド、そして過去のナチスドイツの事例にみられる、差別の根本的な骨組みとして存在するヒエラルキー構造、つまりはカーストについて解説する。米国など世界各地で根強く存在する、(有色人種の)差別の構造的背景にあるカーストの理解あってこそ、人種差別を理解するができる。

 カーストは、人間関係のヒエラルキー構造であり、社会秩序の維持を目的として、無意識的に存在するインフラ的コード。(ナチスドイツのように)劣っているとみなした特定のグループにレッテルを貼ることで、彼らを最下層に留まらせ続けるための、非人間的で暴力的な行動を正当化するものだとウィルカーソンは説明。カーストのヒエラルキーは、感情やモラルとは関係ない、権力(関係)であり、わたしたちに無意識的な人々のランキング埋め込み、一定のグループに対する暴力を正当化するようなステレオタイプをつくりあげるものであると解説している。

 米国社会のカーストは、人種、つまり肌の色という目に見える身体的な特徴によるカーストだ。アパルトヘイト政策の負の遺産が残る、南アフリカ社会にも同様のカーストが存在している。残念ながら、世界全体の力関係を見ても、とくに人の見た目に関する文化や価値観といった文脈において、白人をトップにおいた人種のカーストの存在を否定することは難しそうだ。

 もっともよく知られたインドのカースト制は、日本人にとっても馴染みのある概念かもしれない。しかし、人種のカーストと日本人も無関係ではない。ウィルカーソンは、カーストは固定化したものだが、そのなかで頂点にある「白人」の定義は変化するものだという。つまり、実際の肌の白さがどうであるかは必ずしも関係ない。ウィルカーソンは、ある日本人の事例を紹介している。日本生まれ、ハワイ育ちの日本人タカオ・オザワが、米国市民権の取得のために1922年に起こした裁判で、彼は肌の白さを根拠に、自身が「白人」であり、当時の法律に基づき市民権を獲得できるべきだと主張したが、裁判では、白人の定義はコケージャン(Caucasian)であり、日本人は含まれないという結論に至った。他方、アパルトヘイト政権下の南アフリカにおいて、日本人や韓国人(多くの中国人は含まれず)といった極東アジア人が、白人同等の特権を持つ「名誉白人」として扱われた歴史もある。

 人種差別の背後にある見えないカーストこそが、「見た目」を売るファッション・ビューティーの世界や、全般的な広告の世界において、人種差別的な表現を生み出し続けている骨格であり、根強く残り続けている「悪」の根源だ。こうした人種差別的な表現の撲滅には、特定の広告や企業を批判するだけでなく、わたしたち自身が潜在意識のなかのカーストに向き合わなければならないのではないだろうか。

Text by MAKI NAKATA