依存症者にヘロインを配る、スイスの薬物対策 「注射室」は見学可

注射室の利用者に与えられる注射器など|Satomi Iwasawa

◆ヘロイン摂取に通うのが日課
 チューリヒで広まっていたこの長年の社会問題を受け、国は1991年、「予防、治療、損害の軽減、抑圧」という4つの柱の薬物対策を導入した。これにより、1992年から、チューリヒの薬物使用のたまり場を強制的に一掃する試みが行われ、ようやく1995年2月に、すべてのたまり場から薬物依存者たちの姿が消えた。

 冒頭の、薬物依存者に対して「無料でヘロインを与える」プログラム(費用は健康保険負担)も始まった。その施設に行けば、医師の管理のもとで純粋なヘロインを処方してもらえて、その場で使うことができる(その場で使うことが義務)。1996年までに1000人以上が、ヘロイン、モルヒネ、メタドンを処方してもらった。いま、この施設は全国に20ヶ所ほどある。

 このアールガウ紙の記事にある映像では、チューリヒの施設「Arud」で毎日2回ヘロイン処方を受けている30代男性の様子を伝えている。朝日新聞GLOBE+の記事では、ベルン市の施設の様子が紹介されている。

 スイスの人口は約850万人で、全国で年に1500人前後がこの無料ヘロイン摂取に通っている。しかし、この数は氷山の一角で、通わないヘロイン常習者は膨大だという。Arudのティロ・ベック精神科医によると、施設に通わない理由は、一つには施設が住まいの近くにないためで、もう一つは頻繁に処方を受ける資格に制限があるからだ。

 これらの施設で摂取すれば禁断症状が出ないため、人によっては、職を得て働くことも可能だ。

◆町ツアー参加で薬物摂取の「注射室」が見学できる
 ヘロイン処方と並んで、日本と大きく異なるプログラムは、薬物依存者をサポートする「注射室」だ。ここは監視者がいて、薬物依存者が持参した薬物を消費する施設だ。施設では、清潔な注射器やスプーンなどを使うことができる。シャワー、洗濯、飲食も可能でくつろぐことができる。

 注射室第1号は、1986年に開設したベルンの「Contact」だ(上述の朝日新聞GLOBEの記事参照)。これは世界初の試みだった。注射室も全国にあり、チューリヒには4ヶ所あって同市が管理している(1ヶ所は改装のため閉鎖中)。4ヶ所とも毎日開館していて、チューリヒ在住の薬物依存者(成人)が利用できる。

 これらの注射室には、普段は薬物依存者以外の市民は訪れない。だが、人道支援団体スープリーズが行う「町ツアー」(関連記事)に参加すると、見学ポイントの一つとして訪れることができる。ベルンの町ツアーではContactがルートに入っている。筆者は、チューリヒの町ツアー(参加費約3300円)に参加して、利用者がいない時間に注射室を見学することができた。筆者が見た注射室「Selnau」は、チューリヒ中央駅から徒歩十数分の場所にある。

「Selnauの利用者は、多いときで1日約300人です。持参した薬物を摂取するためではなく、洗濯のためとか、人に会うために来る人もいます。チューリヒの注射室は、それぞれオープン時間を変えてあります。近隣に配慮して場所と時間を変えてあるのです。利用者たちが1ヶ所に集中すると、近隣の人たちから苦情が出る可能性があるからです。みなさんが何か協力できるとしたら、不要になった男性用の衣類を寄付してくださると有難いです」とSelnau職員は語る

注射室「Selnau」の薬物を使用する部屋|Satomi Iwasawa


注射室「Selnau」のカフェエリア(左側のテーブルに置かれた写真の数々は、チューリヒの「ヘロイン地獄」の様子で、町ツアー参加者のために用意している)|Satomi Iwasawa

 見学ポイントのなかで、ツアー参加者たちの関心度はこの注射室に対してとくに高く、質問が多数飛び交った。「どこを撮影していただいても構いません」とのことで、参加者たちはドアで仕切られた薬物摂取ルーム2室を写真に撮っていた。

◆スイスの「注射室」は他国のお手本
 チューリヒで注射室が開設された当時は異議を唱える人もいた。しかし、この試みの成果が見えて、スイスの「注射室」は他国のお手本になっている。

 すでにヨーロッパに広まっていて、ベルリンでは昨年3ヶ所目がオープンし、ドイツでは今後も増設する予定だ。オーストラリアには、2001年に初めての注射室がオープンし、北米では、カナダのバンクーバーで2003年に初オープンした。

 筆者が訪れたSelnau注射室には、過去2年間に、国外の20以上の都市から専門家が見学にやってきたという。薬物対策はいまも多くの国が模索している。

Text by 岩澤 里美