「見捨てられた」旧東ドイツ市民の不満 極右AfDが2州で躍進した理由
◆東は自虐的? 気持ちのギャップも拡大
ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)に寄稿した、ドイツ紙ターゲスシュピーゲルの編集者アンナ・ザウエルブレイ氏は、1990年代の移行期を経て東ドイツの経済も安定的に回復し、2000年以来東西市民の「ドイツ人」としてのアイデンティティは高まりつつあったとする。
そもそも統一すれば、東西の差はなくなるだろうと思われていたが、独アレンズバッハ研究所の調査では、近年ギャップは開くばかりだ。現在では民主主義がドイツにおける最良の政治形態と思っている東ドイツの市民は31%しかいない。また、47%の東ドイツ市民が自分は東ドイツ人だと答え、ドイツ人と回答した44%を上回った。さらに、統一から30年を経ても、東ドイツの住民の3分の1以上が、自分たちを「二流市民」だとしている(FT)。
◆極右台頭 東の声を代弁
東ドイツ市民の気持ちが顕著に表れたのが、9月1日のザクセン、ブランデンブルグ両州の州議会選挙でのAfDの躍進だ。元ザクセン州選出の連邦議会議員アンチェ・ヘルメナウ氏は、以前の選挙では抗議票として、AfDに投票する人が多かったと述べる。しかし現在では同党のアジェンダを支持して投票する人がそれを超えたと世論調査会社は見ているという(DW)。
メルケル首相による2015年の大量の難民受け入れの表明は、取り残されるという東ドイツ市民の恐怖を増強したとFTは述べる。いま新しくやって来た難民には援助ができるのに前からいる自分たちには何もしてくれない、という政府への不満が爆発した。前出のザウエルブレイ氏は、難民危機は過ぎ去って怒りは冷めたが、その癒えない傷が極右で外国人を嫌悪するAfDへの支持に向かわせたと見ている(NYT)。
東ドイツ住民の不満を募らせたもう一つの原因は、行政・公共サービスの突然の後退だとドイツ左翼党のマテウス・ホーン氏は指摘する。1990年以降の転換期が、国家の解体と重なってしまい、施設やインフラが閉鎖され、国から期待できるものはないという失望につながっていたという。こういった不満は、以前は左翼党が取り上げてきたが、近年は同様の気持ちを持つ東ドイツの有権者の票が、AfDに向かっている(FT)。AfDのリーダーのほとんどは西ドイツ出身だが、与党政治家が聞いてくれない住民の悩みや不満に耳を傾けることで、東ドイツ内での支持を増やしているという(DW)。
11月9日は、ベルリンの壁崩壊から30年の記念すべき日だが、ドイツは再び東西で線引きされたとザウエルブレイ氏は述べる。東西の違いは大きく、真のドイツの統一は、まだまだ先だと述べている。
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