KIMONOは誰のもの?「文化の盗用」と感謝の違いを考える

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◆KIMONOの西洋化? SNSで大炎上
 民族衣装である着物を下着と一緒にし、商標登録まで申請したカーダシアンさんの無神経さへの批判はあってしかるべきだが、着物とKIMONOは外国人にとって同じではないようだ。オックスフォード英語辞典によれば、KIMONOは「長くゆるい伝統的な日本のガウンで、幅広の袖があり、帯で留めたもの」とされているが、実は着物とは異なるKIMONOが世界中に出回っている。すべて見た目は着物というよりガウンやカーディガンのようで、色柄ともに着物とはかけ離れている。水着の上に羽織るローブ、下着の上からそのまま着るパーティウェアとしても紹介され、ウエストが絞られていない以外は、まったく着物の原型をとどめていないものも多い。カーダシアンさんもこういったKIMONOをイメージしていたのかもしれない。

 KIMONOの名を冠した衣類に対し、「文化の盗用」という非難がしばしばなされている。ガーディアン紙によれば、いまインスタグラムでは、ソーイスト(裁縫好きの人々)の間で、お手製の衣類を作って投稿するのが流行りだという。ニュージーランドの型紙会社が「Kochi Kimono」の名前で出した着物風ジャケットが話題となり、ソーイストが競って作品をアップしたところ、アジア系アメリカ人から、「文化の盗用」というクレームがついた。この投稿は日系人も巻き込んで炎上し、結局型紙会社は謝罪に追い込まれ、商品名は「Kochi Jacket」に変更された。

 カナダのグローブ&メール紙(G&M)は、ソーシャルメディアの登場により、「文化の盗用」は21世紀の難問になったとしている。長らくKIMONOの場合は、伝統的な年代物でも現代的リメイクでも、そういった批判をあまり受けずにきたと述べるが、近年は例外でもなくなったようだ。「Cultural Appropriation(文化の盗用)」と「Cultural Appreciation(文化への感謝ある理解)」の境界線は揺れていると同紙は憂慮している。

◆KIMONOは世界のもの リスペクトが鍵
 日系カナダ人でライアソン大学の社会学教授、パメラ・スギマン氏は、最近のなんでも盗用とする考え方に異を唱える。同氏は、KIMONOは日本人やその子孫だけのものとは見ておらず、日本的美を理解しリスペクトするなら、それに影響を受け、享受することになにも問題はないとする(G&M)。

 トロントにあるバータ靴博物館のシニア・キュレーター、エリザベス・セメルハック氏は、たとえファッションチェーンの定番としてでもKIMONOには進化する自由があると述べ、一度進化を止めてしまえば、活力ある社会の一部となることをやめてしまうとG&Mに述べる。そういわれれば、着物は日本の伝統といいつつも、日本では着る人が減り、ハレの日だけのファッションとなっている。この点は大いに反省し、日本の伝統存続のためにも、国内での着物の進化を促したいところだ。

 着物における「文化の盗用」問題は、多人種が住む欧米で注目されやすい。海外の有名人が変わった着物の着こなしをすることに関して日本人は寛容だし、外国人観光客が京都で着物を着て撮影したところで、「文化の盗用」と怒る人はほぼいないだろう。

 ただ、G&Mは箸を頭にかんざし風に挿すなどは、明らかにアウトだとしている。今回のカーダシアン事件は、相手の文化の文脈を読めない、まさにその手の事件だったといえよう。

Text by 山川 真智子