「”モカ”のコーヒー豆を、世界へ」 若きイエメン系アメリカ人の格闘

イエメンのコーヒーを世界に広めるため、昨年来、カリフォルニア在住のモフタール・アーハンシャリ氏は現地のコーヒー農園と手を結んで活動している。モフタール・アーハンシャリ氏の厚意により、PRIの許可を得て掲載。

Q : イエメンのコーヒーの特徴について教えてください。

 生育環境や生育場所の微気候 (訳注 : 地面近くの気層の気候。地表面の状態などの影響を受けた、狭い領域の気象) によっても異なるのですが、伝統的に言ってイエメンのコーヒーはモカの風味が強いです。なにしろ、 「モカ」 という名前は元々、この国の地名ですからね。チョコレートの風味があって、色が濃くて、厚みと甘みを持っています。とはいえ、私の扱っているコーヒーの一つはチョコレートの風味を残しつつもまるでサクランボのようですし、また別のコーヒーはとても口当たりが軽くすっきりしています。つまりイエメンのコーヒーが全体としてはどんなものなのか、本当のところは誰も知らないのです。イエメンのコーヒーの顕著な特徴をひとつだけ挙げることはできません。というのも、純粋な品種というものは今まで誰も手に入れたことがなく、どの品種ひとつとっても何かしら他の地域の品種との交雑を経ているからです。こういうイエメンのコーヒーの多様性や歴史についての話なら、面白いから何時間でも話せますよ。

Q : カート (khat)についてはどうお考えですか。イエメンではコーヒーと競合する作物ですが。

 カートとは闘っていきたいと思っています。カートはイエメン国内で、興奮薬として消費されています。アメリカなど多くの国では違法薬物とされており最近ではイギリスでも禁止されましたが、他方イエメンを含め多くの場所では合法です。なによりまず、この植物はイエメンでは商品作物でありお金になるのです。カートは年に3,4回の収穫が可能で栽培も容易ということもあり、コーヒーや他の作物が押しやられてしまっています。私の目標は、コーヒーをカートに代わる、より大きな利益を出すものにすることです。現に、すでにハイマという地域では農民たちがカートの木を引き抜いたところにコーヒーを植えています。次の段階として私たちは、この地に苗床をつくって、コーヒーへの転換を希望している農家に無料で苗を配布したいと考えています。

Q : イエメンは隣国のエチオピアとともに、たいへん長いコーヒーの歴史を持っています。しかし現在、私たちがイエメンについて多く耳にするのはコーヒーのことよりも武力衝突のことです。このことをどう思っていますか。また、この状況でどうやって活動しているのでしょうか。

 私の一番大きな目的は、イエメンの農家の人たちと世界との間に橋を架けることです。ドローン (小型無人飛行機) や戦争やニュースの大見出しではなく、皆が知っていて大好きなもの、つまりコーヒーによって、イエメンとアメリカとをつなげたい、私はそう願っています。

 とはいえ、私たちの計画に情勢の不安定さがついてまわるということは承知していました。でも、こんなにも大変なことになるとは思ってもいませんでした。いまイエメンで起きていることは、たった数か月前とは大きく変わってしまっています。

モフタール・アーハンシャリ氏 (26歳) 、彼の経営するコーヒー会社、モカ・ミルにて。モカ・ミルはオークランドを拠点にしており、イエメンから輸入したコーヒー豆を専門に扱っている。モフタール・アーハンシャリ氏の厚意により、PRIの許可を得て掲載。

Q : アーハンシャリさんは戦闘状態のイエメンから脱出してきたばかりだそうですね。現地では主要な飛行場は爆撃に遭い、港も存続が危うい状態が続いています。釣り用の小さなボートでモカの小さな港からジプチに逃れたとのことですが、そのときは何を持ち出しましたか。

 コーヒー豆のサンプルを、旅行鞄二つにいっぱいに詰め込んで持ってきました。イエメンで最も清浄な、異物をできるだけ取り除き虫害もなくカビも生えていない状態の、焙煎前の生豆です。イエメンの農園の人たちとやってきた一年の仕事の成果です。私は今週開催される、この シアトルの大きなイベント (訳注:米国スペシャルティコーヒー協会 (SCAA) が主催する世界最大級のコーヒーイベントを指す。2015年は4月9日から12日まで開催) に出品するために、サンプルの豆を持っていく必要がありました。そのため私はコーヒー豆を旅行鞄に詰め込み、また、仲間たちと共に豆を小分けにしてそれぞれ袋に入れ青いシートでぐるぐる巻きにして、運んで来ました。

 私たちはイエメンで進めてきたことを続行するつもりです。コーヒー農園の人たちはいまも収穫を続けています。工場は私のコーヒー豆を加工するためにいまも稼働していますし、豆の選別作業も続けられています。私はすべてが通常通り進行しているかのように行動しなければなりません。一か月後には、あるいは一か月半後にはイエメンの港が再開することを、そして私のコーヒーを売り続けられることを願っています。そもそも、立ちはだかっている問題すべてを直視していたら、私はこの計画に到底着手していなかったでしょう。

This article was originally published on Global Voices(日本語). Read the original article.
Translated by Yoko Higuchi.
Proofreading:Masato Kaneko.

Text by Global Voices