パン粉、葉っぱで命をつなぐ……イエメン避難民の惨状

AP Photo / Hani Mohammed 

 ヤヒア・フセイン氏はイエメン北部の小さな村から逃れる時、衰弱しやせ細ってしまった生後5ヶ月の息子を亡くすという悲しみに見舞われた。フセイン氏は難民が暮らす避難民キャンプに身を寄せているが、万策は尽き果て、他の4人の子供たちに食事を与えることができない。

 フセイン氏は仕事に就くこともできず、食料を手に入れられず、さらにこの数ヶ月間、国際的な援助も受けていないという。フセイン氏の妻は、かび臭いパン粉に水と塩を混ぜたものを子供たちに食べさせている。そして、何日間かは「ハラス」と呼ばれるつる植物から摘んだ葉を茹でてペースト状にしたものを子供たちに与えている。

 フセイン氏は、「私たちはすべてを村に残してきた。何も持たずに村から逃れ、何時間も歩き続けて、1リアールのお金もなく、食料や水さえ持っていない」とハッジャの北部にある難民キャンプでAP通信に語った。

 フセイン一家はおよそ4年間近くも続いている内戦によって、自宅、仕事、愛する人たちなど、すべてを失った何百万ものイエメン人家族の1つだ。この国内の紛争によって、人口2,900万人を抱えるイエメンは飢饉寸前の状態にまで追い込まれている。少なくとも800万人が、支援団体が供給する食料だけで命をつないでいる。

 この数字は、戦争が引き起こした経済危機の悪化によって食料の確保がさらに困難となり、1150万人にまで膨れ上がるだろうと見込まれている。イエメンの通貨は崩壊してその価値が急落、物価は急騰している。

 2015年以降、アメリカの後方支援を受けたサウジアラビア率いる連合軍が、イエメンの北部および中央部を占領したフーシとして知られるイスラム教シーア派の武装組織を壊滅すべく国内のいたるところを封鎖し、執拗に空爆を繰り返しているため、深刻な人道危機が生じている。

 イエメン北部のサウジアラビアとの国境付近では、サウジアラビア軍が空爆に加えフーシ派の反乱軍に対し地上で激しい集中砲火を各所で浴びせかけている。
 
 空爆と砲撃が間断なく繰り返されるため、フセイン氏と家族たちは、アルシャダの国境付近の村からの脱出を余儀なくされた。フセイン一家が村を離れる時、5ヶ月の息子は母の腕に抱かれながら亡くなった。その死因が脱水症または栄養失調だったのか、フセイン氏にはわからない。

 過去4ヶ月の間、フセイン一家はアブス市街の近く、アスラム地区に設置された難民キャンプで、棒切れ、毛布およびビニールシートで組み立てた掘っ建て小屋に住んでいた。

 46歳のフセイン氏は、かつてはブドウとザクロを栽培し、農園で収穫した作物をサウジアラビアとの国境にある市場で販売し、豊かな暮らしを謳歌していた。内戦でフセイン氏は生計を失い、1頭だけを残して飼っていたヤギをすべて売り払い、食事を1日1回に減らした。

 イエメンから逃げ出してくる人々の数は増える一方だ。

 国境なき医師団は8月から9月にかけて、2万人が国境の町バニ・ハッサンからアブスに逃げ込んだと報告した。アブスにある中央病院で医療業務を行っている支援団体によると、戦闘に巻き込まれ負傷した300人以上の市民を治療したという。さらにこの支援団体は、具体的な数字を明らかにしなかったものの、栄養失調やコレラの末期症状に陥ったり、出産に伴う合併症を発症したりして、多数の女性と子供たちが亡くなったと発表した。

 国境なき医師団は、移動医療チームを内戦の当該地域に毎日派遣できる体制を整えていると語る。しかし、フーシ当局は移動医療チームの派遣を過去1ヶ月のうち7日間だけしか許可しなかったという。

By HANI MOHAMMED, Associated Press
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Text by AP