ヌーディストの「自然体」と、裸が社会に発するメッセージ

Geoffroy Van Der Hasselt / AP Photo

 パリの現代美術館パレ・ド・トーキョーがヌーディストへの門戸を開いたことが メディアを賑わせた。 CNNでは、今後裸で美術を鑑賞できる日が来るかもしれないなどと述べるほどだった。このイベントの参加者は「ヌーディズムは声明のようだが、実際はピュアな状態」と語っている(インデペンデント紙)。

 一般に公共の場で裸になることは異常なことと捉えられており、実際に全裸で買い物をしたら、警察に通報される可能性が高い。その反対でヌーディストたちは裸を自然の一つと捉えて価値を見出す。近年、欧米を中心にヌーディスト社会が発展する中で、裸にメッセージ性を込めた活動も生まれてきている。しかし、なぜ裸なのか?

◆ヌーディズムの誕生は19世紀
 アダムとイブが陰部を草で隠しているように、 裸は隠すものと子供の頃から刷り込まれており、裸で外を歩くなどは異常行動として認識されている。

 しかし、ヌーディストは裸でいることこそ自然体であると主張する。その歴史は100年近く前に遡る。19世紀初めにはフランスですでにヌーディスト専用の施設も生まれていた。また、北米では1931年を起源に、ヌーディストの啓蒙組織であるAmerican Association for Nude Recreation(AANR)が誕生しているほどだ。同組織によると、 アメリカ、カナダ、メキシコなどからの30,000人の会員が集まっており、過去213,000人にサポートサービスを提供している。個人だけでなく、家族としてのヌーディストの社会的位置付けの確立もサポートしている。

◆裸にメッセージが生まれる
 AANRによると、裸でのレクリエーションは生活の喜び、そして最も自然な形で自然を受け入れることができるという。それは裸でいることをナチュラリズム(自然主義)と捉えているからである。近年では、裸への嗜好以外に、自然体の象徴として、環境問題など社会に疑問を投げかけるための手段としても用いられている。

 そのうちの一つが「ワールドネーキッドバイクライド」だ。2003年からスタートしたこのイベントは、自然体をドレスコードに、 全裸もしくは一部裸で自転車をこぐ。発足からすでに15年。今ではこのイベントに、ヌーディストのみならず様々な活動家が参加している。今年の走行ルートはシカゴからイギリスのカンタベリー。ロンドンを通過するときは多くの地元のバイカーが裸で参加し、車やオイルなどが人体と自然に与える悪影響を訴えている(イブニング・スタンダード紙)。

◆裸で外見への偏見と戦う
 6月9日には、アイルランドのウィックロー近くのビーチには 2,505人もの女性が全裸で集まり、乳がん撲滅キャンペーンが行われた。参加者は乳がん克服者やがん患者の家族などさまざま。治療で乳房を切除しても抗がん剤の投与で髪が抜け落ちても、自分の体に誇りを持つ大切さを伝えた。ヌーディストが見出した自然のままの姿への価値を知ることを喚起している。

◆少数派が多数派になる日は来るのか?
 ヌーディストが性の対象とされたり、差別を受けたりするなどの問題は常につきまとう。イギリスでは Crown Prosecution Serviceという日本の検察庁に類似する組織が、ナチュラリストの扱い方についてガイドラインを出しているほどだ。多数派の見解を変えるのは容易ではないが、裸の持つ真の意味を実際に体感することでヌーディストへの部分的な理解を示す層が増えているのも事実である。

Text by 安藤麻矢