興奮の熱が冷めたあと、オリンピック選手はどのように人生と向き合うのか

Shizuo Kambayashi / AP PHOTO

著:Edward Etzelウエストバージニア大学、Professor of Sport and Exercise Psychology) 

 世界各国の何百人という冬季オリンピック選手が、またとない興奮に別れを告げている。メダルを手にした喜びを胸に旅立つ者はほんの一握りで、ほとんどが何も持たず手ぶらで帰途につく。

 メダリストであるかどうかにかかわらず、将来図を描けないまま、未知の領域に向かおうとしている者もいる。その多くが何年もトレーニングを重ね、スポーツに専念してきた選手たちだ。

                                                                                                                 

 突如、灯りが消える。

 元オリンピック選手で、今スポーツ心理学者である私は、経験上、それが容易ではないことを知っている。多くのオリンピック選手にとって、アスリートであることがアイデンティティの中心であり、トレーニングや競技から離れることは簡単ではない。

◆一変する日常生活
 1980年代初頭、心理学者のナンシー・K・シュロスバーグ氏が独自の移行理論を生み出した。移行理論では、人は家庭や職場、学校でのルーティン(習慣的な行動)や人間関係、そして役割に変化が起きると、ストレスを感じやすいと考えられている。

 オリンピック選手の場合、日常生活に戻るということは、綿密に組み立てられたルーティンに沿って過ごしてきた数カ月間から突然切り離されることになる。もう、チームメイトやコーチに責任を負う必要もなければ、試合が近いから、と自らを奮い立たせることもない。

 すぐに直面する課題の中には、判断を下さなければならないものある。今後もその競技を突き付けていくべきなのか、それとも仕事を探したほうがいいのか、決めなければならない。豊富な資金を提供してもらえるオリンピック選手はほとんどいないため、その多くはスポーツ以外の道で資金を稼ぐ方法を探さなければならない。

 さらに、多くのアスリートは、その競技を継続したいのか否か、ということまでも決めなければならない。17歳のスノーボーダーであるクロエ・キム選手やレドモンド・ジェラルド選手のように若く、健康で、まだ全盛期にある選手にとっては大きな問題ではないかもしれない。

 しかし、身体能力が衰え、また家族を養っているような人にとっては、悲壮な決断だ。オリンピックに3度出場したメダリストのリンゼイ・ボン選手は、ダウンヒルのスキー競技で銅メダルを獲得したものの、肉体的な限界を感じ、自身がキャリアの新たなステップ、つまりは引退時期に来てしまったことを受け入れた

「スキーを続けられたら、と思う」と彼女はLAタイムズに語った。「これほど体が傷ついていなければよかったのに」

◆希薄な自己感覚
 オリンピックに出場するため、人生の数年間を捧げてきたアスリートは、スポーツ心理学でいうところの「アスリートのアイデンティティ」と闘わなくてはならない。これは、アスリートであることの自己意識にまで絡み合っているものだ。

 アスリートのアイデンティティが強い選手にとって、アスリートとしてのライフスタイルが自己意識、そして他者からの評価や対応の基盤になるものだ。競技に臨む時には、それが強靭さ、意義、そして忍耐の原動力となる。しかし年齢やケガ、あるいは故障などに見舞われると、それがアキレス腱となることもある。突如として、すべてから解き放たれてしまうのだ。

 スポーツから引退するというのは、退職や転職と同じ重みのある決断だ。大きな喪失感を生むこともあり、アスリートが自分のキャリアを回顧し、自らの成績について自問自答するまで追い込まれることもある。自分のキャリアは成功だったのか、それとも失敗だったのか?自分は立ち直れるだろうか?人生の「次の章」をどのようにして作っていったらいいのだろうか?と悩む。

◆音楽が鳴りやむとき
 心理学者として、私はこのような変化に悩んだ経験を持つ、多くの元オリンピック選手と協力する機会に恵まれた。

 私自身も、オリンピック後に訪れる変化を経験した。

 私は1984年、まだオリンピックが終わる前に、ウェストバージニア州のモーガンタウンに戻った。私はイギリスで開かれたマッチ・ライフルのシューティング競技会で獲得した金メダルを手にしていた。しかし、同時に別の大会で、15位という中途半端な結果を出してしまった記憶も抱えていた。

 前触れもなく突然、私の長年に及ぶ準備、犠牲そして競争の旅は終わりを告げた。幸運なことに、私には射撃のコーチとしての仕事が待っており、専門的な心理学を学ぶために大学院にも入った。私は仕事と学校に集中するため、引退しなければ、と決めた。そしてオリンピック選手から退いた。後悔は、あったとしても、ほんのわずかなものだった。

 しかし、その道やストーリーは選手それぞれ異なる。ミシェル・クワン氏のように作家やアメリカの外交大使になる者もいれば、2014年に破産宣告をしたのちに精神健衛生上の問題と闘うデビ・トーマス氏のような者もいる。

 オリンピック終了後に最も苦しむのは、大きな期待に応えられなかった人たちかもしれない。そうなると生涯、「もしも、あの時」という「たら、れば」の後悔を抱えることもある。

 しかし、ケニアのマサイ族に伝わる人生の教訓がある。それが「すべてのことには、終わりがある」というものだ。

 それはメダリストか否かにかかわらず、すべてのオリンピック選手が心に留めておくべきことだ。

This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by isshi via Conyac

The Conversation

Text by The Conversation

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