祖国に帰る韓国人養子の複雑な心境 過去20万人が海外で養子に

Scott Takushi / Pioneer Press via AP

 来週開催される冬季オリンピックに合わせて帰国する韓国人養子のミーガン・オルソンさんは、どこか現実離れしつつも、鮮明な体験をするだろう(編注:原文は2018年2月1日公開)。

 この上ない一体感。

 深い喪失感。

                                                                                                                 

 人知れず養子に送り出されたため、ほとんど知ることのない母国への誇り。

 米ミネソタ州で社会福祉相談員を務めるオルソンさん(33)は、韓国の平昌で開かれる2018年冬季オリンピックに合わせて母国を訪れる韓国人養子の一行に加わる。

 一行の多くは、1980年代にピークを迎えた国際的な養子縁組の動きの当事者として、文化、人種、そしてアイデンティティの問題に苦しんだ。今度のオリンピックは、内心では韓国を訪れることを正当化する必要性を感じている養子にとって、訪韓するまたとない正当な機会に思えるだろう。とはいえ、残念なことに集団でその国を追い出されたという事実は消えることがない。

「本当に、韓国に帰りたかったんだと思います。我が家のように思っている国ですが、同時に、そこには自分の家がありません。私はどこに所属するのか、全く分かりません」とオルソンさんは言う。

 オリンピックは、韓国経済の転換期に挟まれた、養子縁組者としての人生経験を和らげる機会でもある。

 養子縁組について研究しているミネソタ大学のリチャード・リー教授によると、韓国経済の発展は、十分な社会福祉制度をもたなかったこの国が20万人もの新生児を外国に送り込んだ時期と概ね一致するという。

 韓国は、凄惨な朝鮮戦争の負の影もなく、この半世紀で、技術面での資産、ポップスなどの文化領域、有名になるくらい優秀な教育制度のおかげで世界の表舞台で力のある国になった。

 その一方で、韓国人孤児の多くが米国に渡っていたのだ。養子は人道支援的な取り組みと見なされていた西洋の各国で、新たな白人の両親の下で孤児たちは成長していった。すでに成人して、立派な大人となった彼らの中には、政治、ファッション、エンターテインメントの世界で名を成した人もいる。

 そうした人がオリンピックの試合を観に来られるほど余裕があることを知って、養子がタブーとみられている家父長的社会に住む韓国の人たちは驚かされた。

 国際韓国養子サービスのケジア・パク氏はこの現象について、社会的身分がものを言う韓国の人にとって「顔面平手打ち」をくらったようなものと表現した。1990年代に設立されたソウルを拠点とするこの非営利団体は、養子に出された人のために出生地をめぐる旅の手配をしている。

「祖国を旅だったとき、この人たちは孤児でした。見捨てられたのです。面倒をみてくれる人がいませんでした。でも戻ってくれば、それを目にした韓国の人たちにとって象徴的な旅となります」とパクさんは言う。

「それによって韓国の人々の考え方が変わります。1つの社会として、この国が過去にした選択を振りかえることができます」

 遺伝性の疾患を知るため等の健康上の理由や、子どもの頃に起きたことを調べるために既に韓国に戻ったことがあれば、この国を再訪する理由を正当化するプレッシャーも重いものとなる。さらに、養子を受け入れた家族が今回の訪韓に理解を示しているとしても、韓国人の家族とのつながりが切れている場合には、アイデンティティとこの国に対する感情を調和させるのは難しい。

 パクさんは、1週間ほどのオリンピックの旅でこうした心の葛藤を和らげることができればと願っている。この旅には、開会式とスポーツイベントへの参加が含まれている。さらに、米国人に育てられた韓国人養子で、女子アイスホッケー代表として出場するマリッサ・ブラント選手にも会ってもらいたいと思っている。

「養子の人たちは心の中では韓国に行きたいという思いがあるのですが、そこには温かく迎えてくれる人がいません。だから訪韓は無意味だったと感じているのです」とパクさんは言う。「そこにいたいという思いは私たちの想像以上です」

 ノルウェー、デンマーク、イタリア、フランス、オーストラリア、米国などに住む韓国人養子の20人ほどが今回の旅行に参加する予定だ。

 ミネソタ州ロビンズデールに住むオルソンさんは、韓国行きのことばかり考えているので、夫を苛立たせてしまうこともあるという。しかし韓国に行くたびに、感情的にひどく弱ってしまい、これを最後の訪問にすべきだろうかと自問している。

 彼女は数年前、ソウルにある養子斡旋所を介して実の両親と会った。それによって彼女は取り乱し、不満と満たされない思いが残った。自身の出生を理解したいというオルソンさんの思いとは裏腹に、韓国にいる両親は関心がなさそうだった。

 彼女は1985年、まだ乳児だったときに養子に出されたが、1年後に生まれた弟は両親の下で育てられたことが判明した。なぜ2人がそのような選択をしたのか、彼女は知らない。彼女のことは、他の子どもたちには決して明らかにしない秘密であったことだけがわかった。

 しかし今回の韓国訪問は、オルソンさんの心の苦しみを和らげてくれる心温まるひと時となるだろう。

 自ら望んだわけでもないこの重々しい経験を共有できる養子仲間と出会える旅となるからだ。

 これまでの人生で口にしたことはないが、食べれば懐かしく感じる食事ができるからだ。

 オリンピックの試合のきらびやかさを味わえるからだ。ただしこれに関しては、別の苦しみがないわけではない。

「どこの国を応援したらよいか、よく分からないのです。米国?韓国?ほんの一瞬ですが、悩んでしまうのです」とオルソンさん。

 エッラ・レベックさんとトニー・レベックさん夫妻も、母国に帰るぴったりな理由をオリンピックに見出している韓国人養子だ。2人はソウルでの養子の集まりで出会い、2014年に結婚した。

「オリンピックを観るのは大好きです。私たちは米国対カナダの試合の得点を計算し合っています」と、乳児だった時にカナダのオタワに養子に出され、今は採用担当をしているエッラさん(31)は話す。「現地に行けば、韓国の代表にもなれる。私たちはそのようなことができるのを誇りに思います」

 2人はいま、ミシガン州ゲールズバーグに住んでいる。いずれも、生みの親とは会えていない。

 病院で管理業務をしている35歳のトニーさんは、4歳のときにミシガン州中部にある家庭に養子に出された。養父母が1988年のソウルオリンピックの記録を見せてくれた時、子どもながら韓国とつながっているという意識はあまり持たなかった。他の多くの韓国人養子と同じように、彼もまた成人した後に自身のルーツを辿るまでは、アイデンティティの確立に苦労した。

 養子という経験について、「自分自身との向き合い方を見出すのが難しくなります」と語っている。「米国にいる自分は、どのような男性もしくは女性になるべきなのでしょうか?」

 ハワイに住む36歳のマット・ガルブレイスさんは、オリンピックのイベント後、実の家族と時間を過ごす予定だ。彼は5歳のときに兄弟と一緒に養子に出された。北朝鮮と接する非武装地帯付近のムンサンにある孤児施設ではつらい記憶しかない暗い1年を過ごした後、2人はフェニックスの温かい家庭で育てられた。

 ガルブレイスさんは、米海軍勤務で日本に駐在していたときにソウルに行くという決断をして、2009年に生みの親との再会を果たした。あるホテルの従業員が出会いを取り持ったのだが、母親はガルブレイスさんに許しを請うた。

 結核にかかってしまったため、シングルマザーだった彼女は2人の息子を養子に出したことが初めてわかった。お金と支援がなければ最悪の事態になることを母親は恐れた。養子に送り出すことで子どもたちの未来がより良くなることを願ったのだ。

 ガルブレイスさんは生みの親について、「養子に出されたのは、子どものときでした。一緒に過ごした記憶もあります。かの地にいることも知っていました」と語った。

By SALLY HO (AP)
Translated by Conyac

Text by AP

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