「帝国の慰安婦」裁判が示す韓国のナショナリズム “自由”を許さない姿勢に内外から批判
著書「帝国の慰安婦」で、元慰安婦から刑事告訴されていた世宗大学のパク・ユハ教授に対し、ソウル高裁は罰金1000万ウォン(約100万円)の有罪判決を言い渡した。学問の自由の観点から、判決に国内外から疑問の声が上がっている。本の内容自体への評価は依然として厳しく、慰安婦問題にこれまでと異なる議論を持ち込むことを、ナショナリズムが妨げている。
◆学問の自由はどこへ。1審判決を破棄
帝国の慰安婦は、2013年の出版以来、韓国の学会で議論を呼んできた。「論点が間違っている」という批判もあったが、「従来の研究とは異なる視点を提示した」と評価する声もあった。しかし、2014年に元慰安婦9人がパク氏を民事と刑事両方で告訴したことから、学術書が訴訟の対象となるまれな事態となり、「学問の自由」論争にも飛び火した。1審では「学術表現は正しいものだけでなく、間違ったものも保護しなければならない」とし無罪が言い渡されたが、2審では「学問の自由は保証されるべき」としつつも、パク氏が「元慰安婦に対し、虚偽の事実を書き記して大きな精神的苦痛をもたらした」と認め、有罪としている(朝鮮日報)。
朝日新聞は、5月の政権交代以来、韓国では慰安婦問題で日本に厳しい論調が相次いでおり、司法も影響を受けた格好になったと報じている。この点は朝鮮日報も認識しており、裁判が行われるたびに司法判断が変わっていると指摘した。また別記事で、パク教授の著書の内容は別だが「学問に刑事罰は不適切」として、韓国の学界が裁判の結果を批判していると報じている。
◆慰安婦問題は恥辱の象徴。異なる意見を受け入れず
ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)に寄稿したライターのイラリア・マリア・サラ氏は、慰安婦問題に対する韓国世論の影響力の大きさを指摘する。2015年の日韓合意で、両国は慰安婦問題の最終的な解決を図ったが、日本の誠実さが不十分と受け取られ、合意に不満を持つ人々が釜山の領事館前に新たな慰安婦像を立て、さらに問題を複雑にしてしまった。最近の世論調査では75%の国民が日韓合意は解決にならなかったと考えており、これを考慮した現在の文政権は、「慰安婦の日」制定や、慰安婦関連の博物館、研究施設の建設計画まで発表していると述べている。
同氏は、慰安婦問題は日本の植民地時代における韓国の恥辱の象徴になっており、韓国世論がたどり着くのは、慰安婦の純潔が汚されたという考えだという。韓国人にとっての慰安婦のイメージは、無垢で若く美しい処女であり、これから逸れることは物議を醸しだすとしている。自著で一部の慰安婦たちは軍の慰安所で働く売春婦や使用人であり若い少女ばかりではなかった、そして少なくとも一部の韓国人が日本人と協力して慰安婦に仕事を斡旋していたとしたパク氏は、1審で無罪を勝ち得た時でさえ、「親日の裏切り者」と批判を受けたとサラ氏は指摘している。
ディプロマット誌に寄稿した漢陽大学校の政治学者、ジョセフ・イー氏は、慰安婦問題に別の議論を持ち込むことを許さない姿勢を批判。そして、愛国主義者や反日思想に同調するというプレッシャーなしにすべての慰安婦が自由にその経験をシェアすべき、というサンフランシスコ州立大学のサラ・ソー教授の意見を支持する。ソー氏は慰安婦になった事情や体験はそれぞれ異なるものだったとし、1994年にアジア女性基金からの償い金を受け入れた61人の女性を含む、さまざまなタイプの元慰安婦に発言の場を与えているが、彼女らもまた活動家によって裏切り者扱いされているという。
イー氏は、慰安婦問題に正反対の認識を示す学者がいたとしても、それを処罰するのは学問の自由と民主主義の議論を制約することになると述べる。アジアではますます個人の自由と愛国主義的同調という二つの力の溝が深まっているとし、継続するパク氏の裁判が、今後の韓国の進む道を形作る助けになるだろうとしている。
◆本来の求めは被害者の尊厳回復。イメージが問題を見えなくする
前出のサラ氏も、そもそも慰安婦たちが表に出て来たのは、彼女らの尊厳の認識と回復のためであったのに、愛国主義的なアジェンダにしばしば利用され、非常に象徴的な役目を負わされてしまっていると述べる。生存する元慰安婦が暮らす施設で、彼女たちがセラピーのために描くのは、手足を引っ張られ、血だらけで絶望した女性の姿であり、無垢で美しい少女像のイメージとは似ても似つかないと同氏は述べる。また、7月に公開された古い慰安婦のフィルムに写っていたのは、縮こまってやつれた姿の数人の女性たちで、少女ではなかったとも指摘している。
同氏は、単純化された彼女らの苦難の話(純潔が汚されたという高尚なストーリー)が事実を覆い隠し、韓国人も含むすべての人々の戦時の行為を十分に検証することを不必要にしていると述べ、慰安婦問題がナショナリズムに絡む複雑な問題であることを改めて指摘している。