既婚者にのみ手当を与えて優遇する社会制度は不公平ではないか

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著:Vicki Larson(ジャーナリスト、The New I Do: Reshaping Marriage for Skeptics, Realists and Rebels 共著者)

 結婚しない、という新しい生き方が最近になって注目を集めている。エリック・クライネンバーグ氏が著書『Going Solo: The Extraordinary Rise and Surprising Appeal of Living Alone (訳:ひとりで生きる―急増するひとり世帯と、その生活の驚くべき魅力) 』(2012年) で取り上げたのが始まりだ。クライネンバーグ氏に続き、ケイト・ボリック氏が『Spinster: Making a Life of One’s Own (訳:未婚女性―自分の人生は自分で決める) 』(2015年) を発表した。それと同時期に、ワシントン・ポスト紙では「Solo-ish (独身であること) 」と題した独身生活にまつわるコラムの連載が開始されている。そして昨年、レベッカ・トライスター氏の『All the Single Ladies: Unmarried Women and the Rise of an Independent Nation (訳:すべての独身女性へ―独身女性が、国民の自立した国家を作る) 』(2016年) が発表された。またジェシ・シンガル氏は昨年のニューヨーク・マガジンで、「今や独身女性の存在をないがしろにはできない」と述べている。実際に、昨年のアメリカ大統領選挙においても独身女性が最も影響力のある投票者層になると言われていた。(独身男性はさほど重要視されていなかったようだが。)

 今や独身者と既婚者の立場に優劣はない。独身者と既婚者が同等の影響力を持ち、同じように尊重されるべき時代が到来した。しかし唯一、法制度だけが時代の流れに追いついていない。政府は既婚者に特別な手当を給付し、彼らを保護しているが、独身者はそのような恩恵を受けることはできない。アメリカでは連邦レベルの法律だけでも、結婚した夫婦を優遇する法律が1,100件以上ある。それに加えて州レベルでも、夫婦への特権や保護を規定する州が多くある。

 アメリカでは公的医療保険制度であるメディケアを始め、社会保険、障がい者年金、退役・現役軍人手当などの制度を、当事者だけでなくその配偶者も利用できる。結婚していれば、配偶者の務める会社を通して健康保険に加入できる。住宅保険、自動車保険など各種保険料率が割引される。お互いの医療に関する意思決定が行える。配偶者が病気になれば家族休暇を、死去した場合には忌引き休暇を取得できる。

 アメリカでは夫婦になれば、様々な特権が与えられる。しかし独身者には与えられていない。権利さえあればこのような手当を利用したかったと、独身者の大半が思っているに違いない。独身だからといって完全に孤独な人など滅多にいないのである。独身者にも両親や兄弟姉妹、親戚縁者がいる。親しい友人もいる。恋人だっている。しかし夫婦ではないため、社会保障制度を彼らのために使用する権利がない。独身者が死亡した場合、彼らが社会保障制度に支払っていた費用が、どうして大切な人には渡らず回収されなければならないのだろうか。身内や恋人が病気になった場合にも、どうして独身者には有給休暇を取得する権利がないのだろうか。

 独身者には望んで独身でいる人も、結婚する機会がなかった人もいるが、アメリカでは合わせて1億2,400万人超が独身だ。これは既婚者数を遥かに上回る。このことを考えると、恋愛をして結婚をしたというだけで政府に優遇されるというのは、理にかなっていない。クレインバーグ氏が指摘するように、独身人口の増加はアメリカだけで見られる現象ではない。インド、中国、ブラジル、スカンジナビアでも同様に独身者が増加している。ストックホルムでは、総世帯数の50% 以上を単身世帯が占める。クレインバーグ氏はこれを「驚くべき統計結果」だと言っているが、独身者が「少数派」とされてきた長い時代は終わり、今や世界中で同じような結果が得られている。

 これまで長い間、結婚していない男性は男として半人前と言われてきた。遊び人と決めつけられることもあった。女性に対しては結婚していなければ孤独で可哀想な人だとみなされ、行き遅れだなどとも言われてきた。また男女ともに、性的指向を疑われることもあった。そして現在においても、誰もが自分の好きなように生き方を選択できる、かつてないほどに自由な時代となっているにも関わらず、独身でいると特に女性は何かと詮索される。休日を家族と過ごしていると、恋人について、結婚についてあれこれ質問を浴びせられた経験がある人にはわかるだろう。

 哲学者のエリザベス・ブレイク氏は著書『Minimizing Marriage (訳:最小結婚のすすめ) 』(2012年) において、誰もが素敵な結婚を夢見て当然である、あるいはそうあるべきとする思想を、結婚規範意識と名付け、結婚以外の人生を選択した人々にとって有害な思想だと述べている。結婚しなければ政府の保護下から追い出されるというのはあまりに残酷だ。『Singled Out (訳:独身者への差別) 』(2007年) の著者で、独身者を支持するベラ・デパウロ氏も同様の主張をしており、基本的な生活にかかる費用を既婚者よりも独身者に多く払わせる政策は、「独身差別」だと批判している。

 独身者を一括りにできないというのは、ひとつの問題である。独身といっても未婚である場合、離婚した場合、配偶者と死別した場合と様々な形がある。そして独身者には若者もいれば高齢者もいる。異性愛者も性的マイノリティもいる。富裕層にも貧困層にも独身者がいる。黒人、白人、アジア人など人種も様々である。独身者のそれぞれが人種、民族、性別、年齢、性的指向といった様々な特徴を持つのである。さらに問題となるのは、誰もがいずれは結婚したいと願っているという決めつけのもと、大多数の人が独身を一時的な状態でしかないと考えていることだ。実際、独身者には結婚願望のある人もいるが、ない人もいるのだ。しかしそれで何の問題があるというのだろう。これが最大の疑問である。

 『Marriage, a History (訳:結婚史) 』の著者で歴史学者のステファニー・クーンツ氏は、既婚者に手当を給付する制度は、昔は理にかなっていたと言う。クーンツ氏によると、⒛世紀の半ばに政府は結婚した夫婦に対する手当を充実すると共に、配偶者にも当事者と同等の受給資格を適用するため、1935年社会保障法を施行した。これにより結婚証明書があれば、扶養家族に資源を分配することが認められたのだ。

 ワシントン州の自宅から取材に応じてくれたクーンツ氏は、「既婚者に手当を給付し、彼らを保護する制度は、世界各国において国レベルでも地方レベルでも有益な制度として認められていた」と語っている。国や地方は、家庭を守り子供を育てる人を必要としていた。その役割は女性に任されることが圧倒的に多かったが、彼女たちに仕事を辞めさせ、家事、育児に専念させるためには彼女たちを保護する必要があった。かつて結婚はほとんど義務であり、その義務を果たす見返りとして、既婚者に手当を給付する制度が用意されたのである。

 第二次世界大戦後の時代においては、男性が外で働き、女性が家庭を守るのが夫婦の規範的な在り方であるとし、それを支える様々な制度が確立された。1948年にはこの規範に沿うように、所得税に関する法体系の見直しが行われた。もちろんこの時代においては、万人が結婚して当然であり、結婚を望まない人などいるはずがないと思われていた。そして女性は働かずに家庭に収まることが常識であった。しかし現在は違う。1982~2000年生まれのミレニアル世代の69% がいつかは結婚したいと回答しているものの、かつての結婚観はもはや現実的ではない。

 今の時代、男性が働き、女性は家庭を守るという夫婦が規範的な夫婦とは言えない。アメリカでは両親が共にフルタイムで働いている家族が全体の46% にのぼる。同様の調査で、カナダでは69%、オーストラリアでは58% という結果が出ている。結婚していても男女ともに働いている人がこれだけ多いということを考えると、結婚証明書があれば手当を受けられるような制度は、ますます支持し難い。独身者にも既婚者と同等の手当と保護を与えるべき時代が到来しているのではないだろうか。

 「機は熟しきっている」とクーンツ氏は断言する。クーンツ氏は2007年のニューヨーク・タイムズ紙で、「これまでの制度を維持すれば、モラリストが騒ぐことはないだろう」と述べた上で、しかし「旧時代的な制度では、各人が子育てだけでなく介護などの義務を果たすために何の役にも立たず、国民の利益には繋がらない」と意見している。最近では選択的に子どもを持たない夫婦も多く見られるようになったが、子どものいない男女でも、誰もがどこかの時点で、親であれ親しい友人であれ誰かしらの面倒を見ることになるだろう。法律学教授のマーサ・アルバートソン・ファインマン氏は『The Autonomy Myth (訳:自立性の神話)』(2004年) で、政府は既婚者だけを優遇する制度を廃止すべきである論じ、子育てや介護の役割を負うすべての人に等しく手当を給付し、同じように保護すべきであると主張した。法律学教授のヴィヴィアン・E・ハミルトン氏もまた『Mistaking Marriage for Social Policy (訳:社会政策のための間違った結婚) 』(2004年) と題した論文で同様の主張をしている。

 今年の初めにウィメンズ・マーチと呼ばれるデモ行進が世界各地で行われた。大人から子どもまで、何百万人もの男女が様々な主張を掲げデモに参加したが、中でも女性の権利を人間の基本的権利として主張する声が圧倒的に大きかった。

 独身者の権利ももちろん、人間の基本的権利と認められて当然である。ならば将来的には、既婚者だけに手当と保護を与える制度が廃止され、独身であろうと誰もが同等の待遇を受けられる日がくるだろうか。制度の改革に向け、一丸となった取り組みが期待できるだろうか。

 「簡単にはいかないと思っている」とデパウロ氏は言う。「改革推進派が支持を集めることは難しく、必要な財源もそう簡単には確保できそうにない。問題のひとつとして、人種や性別、性的指向といった特性と違い、結婚は状態であり、可変的なものであることが挙げられる」。そして社会保障制度のようなすでに確立された制度を変えるとなると、「伝統」を重んじる人々から大きな反発があるだろう。

 確かに独身であるという個人的な立場からの主張では、改革を起こすことは難しい。しかし人間の基本的権利に関する議論として問題を再定義すれば、求心力は高まる。そして改革を起こすことも決して不可能ではない。

This article was originally published on AEON. Read the original article.
Translated by t.sato via Conyac

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