テロ報道で重大なミスを犯す大手報道機関

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著:Philip Seib南カリフォルニア大学 Annenberg School for Communication and Journalism, Professor of Journalism and Public Diplomacy)

 英国のマンチェスター・アリーナで起きたテロ爆破事件のニュース報道は、残念ながら見慣れた光景だった。金切り声を上げる犠牲者や緊急救援隊員の必死の救援活動の一部始終が携帯電話を通して撮影され、「テロかどうか」の推測や犯人に関する憶測が広がった。死傷者の大半が若者であったことから事件の恐怖は増幅した。

  2001年に米国で起きた同時多発テロ事件以来、アルカイダやIS(イスラミックステート)に触発された暴力を取り上げることがメディアの定番となった。一連のテロ報道は、一般市民の間に自分たちが無防備だという意識、予測不可能で残忍な事件は身近なもので再びテロ攻撃にさらされるに違いないという意識を煽っている。

 しかし、それらの事件の背後にあるものは何なのか。テロに関する主要なニュース報道を見聞する時、それらのニュース報道は、列車事故や銀行強盗事件などと同じように別個の事件として扱われる傾向がある。

 近刊予定の拙著『As Terrorism Evolves: Media, Religion, and Governance』の執筆中、あることが判明した。ISによって触発されたテロ攻撃に関する多数の衝撃的なヘッドライン・ニュースにもかかわらず、大半の人はテロリズムやイスラムの複雑な要素についてほとんど知識がないということだ。誰がそのような理不尽な殺害を行なうのだろうか?理由は何なのか?最も重要なことには、どうすればテロ攻撃を阻止させることができるのか?

 上記の疑問に答えるには、散逸する混乱の描写を超えた内容で構成される日々のニュース報道が必要だ。テロ報道に対して総合的なアプローチをとることで、50年前の冷戦時代のように人々の生活を変えつつあるこの現象をうまく説明することができるかもしれない。

◆報道の穴
  ISに触発されたテロ攻撃に関する欧米の報道は、明示的あるいは黙示的にほとんど常にイスラム教とのつながりに触れているが、それで終わることが多い。多くのジャーナリストは宗教的話題を避けるため、一般市民の知識に真空の部分が創り出され、それをテロリスト、反イスラム活動家や政治家が悪用できてしまう。

 結果はどうだろう。マンチェスター・アレーナまたはバグダッドの市場で実行されたたった数人による殺害によって16億人もの信者をもつ宗教が定義づけられている。アメリカ人の55パーセントがイスラム教についてほとんど、あるいはまったく知識がないと語っていることからわかる通り、非イスラム諸国のイスラム教に対する理解度が非常に限られたものであるため、ニュース視聴者の多くは「イスラム=テロ」という考えを受け入れてしまう傾向がある。2015年のピュー研究所の調査では、多くのアメリカ人がイスラム教徒を反アメリカ的、暴力的だとみなしており、調査対象者の根底にあるステレオタイプの普及と緊張が浮き彫りになっている。

  有力政治家がイスラム教徒を告発したり、テロ攻撃の後に反イスラム的な反発があったりする時、テロ組織は勝利を得る。一部のイスラム教徒はイスラム教が攻撃されていると考えざるを得なくなるため、イスラム教の擁護者を自認するアルカイダやISの支持者によるリクルートの影響を受けやすくなるのだ。

 テロ攻撃の後に、イスラム社会の反過激派的な反応が記事になる場合もある。例を挙げると、マンチェスター爆破テロの直後にクウェイトで制作され放映された反テロのメッセージはソーシャルメディアで瞬く間に拡散され、欧米のニュースメディアに取り上げられた

 だが、イスラム教徒の8割がインドネシア、パキスタン、ナイジェリアなどのアラブ諸国以外の重要性が高まりつつある国々に居住しているにもかかわらず、通常イスラム教は次の悲劇が起こるまでニュースから消えてしまう。イスラム圏の世界的な政治的影響力は、ある意味、何世紀も前のカトリック教のそれと似ている。もし世界情勢の中のイスラム教の役割が継続的に報道に取り上げられれば、おそらくニュース視聴者はイスラム教は暴力ばかりではないことを認識していることだろう。そしてもしイスラム教に対する反感が軽減されれば、テロ組織はリクルートの手段を失ってしまうに違いない。

◆誠実に脅威に立ち向かう
 それはさておき、イスラム教を取り上げる際、国家が支援している過激主義、特にサウジアラビアのワッハービズムというイスラム思想の十分な資金提供を受けた広報宣伝活動についても触れておかなければならない。ワッハービズムの原理主義の教義は本質的に分離主義であり、好戦的だ。穏健派のイスラム教徒や非イスラム教徒を敵とみなす神学的理論的根拠を意図的に規定している

 欧米の政治家は石油や地域の地政学に関連した理由からこの問題を扱うのを控えているが、メディアなら、同盟らしきものがいかにテロリズムの定着を援護しているかを説明するために一層強力な役割を果たすことが可能だ。

 ジャーナリストも、高度化されたテロ作戦についてさらに徹底的に調査するべきである。たとえばISは、直接接触していない者に対してさえ、ソーシャルメディアを巧みに利用してテロ攻撃を実行する者を刺激している。

  2015年、米カリフォルニアのサンバーナーディーノで起きた恐怖の銃乱射事件の犯人らはISから訓練も命令も受けていなかった。しかしISに忠誠を誓い、ISのオンラインコンテンツで収集した内容を基に事件を実行したのだ。

 現在のアルカイダの指導者、アイマン・アッ=ザワーヒリーは、メディアの力を認識しており、2004年に次のように記している。「この戦いの半分以上はメディアの戦場で起きている…我々はウンマ(イスラム教徒)の心をつかむためにメディア戦の渦中にある。」

  ISはソーシャルメディアを利用してメッセージの拡散、追随者のリクルート、戦闘員の訓練、資金調査を行なってきた。政府や非政府組織は近年、これに巧みに対峙することができるようになってきている。米国政府は300以上のYouTube動画を公開して過激派グループのメッセージに反撃している。とはいえ、ニュースメディアはいまだにテロリスト集団の組織的能力、戦闘能力を軽視する傾向にある。

  2014年以来ISが支配しているイラク第2の都市モスル奪還に向けた長期にわたる取り組みの話を考えてみてほしい。イラクとアメリカの情報筋は漠然とした楽観的な更新情報を提供し、ニュースメディアはこれを報道している。しかし、この戦闘は2016年10月以来、現在も続いているのだ。米国の援護を受けた猛攻にもかかわらずモスルの一部は依然としてISの支配下にある。このことは将来のISの軍事努力と広範にわたるテロ攻撃のどのような前兆となるのだろうか。戦闘に関する日々の公報に依存していることが、長期にわたる現実を見えにくくしている。その現実をジャーナリストが分析するべきだ。

 さらに広範囲で考えると、米国や他の国々のテロ対策の取り組みはさらなる精査が望まれる。一般市民は何がうまくいっていて、なにがうまくいっていないのかを知る必要がある。テロ打倒にはハード・パワーとソフト・パワーを組み合わせることが必要であり、テロリストのリクルートのパイプラインを断ち切ることが不可欠だ。そのためには過激派のアピールの影響を受けやすい人々の元に届くような革新的なプログラムが求められる。

 テロは我々の生活の一部として至る所にまん延しており、より一貫性のあるニュース報道が期待される。そしてテロ打倒を扱うジャーナリストはこの多面的なトピックに関する専門性を磨くことが必要だ。(ワシントンポストのジョビー・ワリック氏、ニューヨークタイムズのルクミニ・カリマキ氏の専門知識はトップレベルだ。)だが、テロ関連の記事や番組は全般的に関連性の低い挿話で構成され、単純に割り切り過ぎている。

 私の目から見れば9.11の米同時多発テロ事件以来、ジャーナリズムは戦闘によるテロの拡大に後れをとっており、その遅れを取り戻すことが望まれる。

This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by サンチェスユミエ

The Conversation

Text by The Conversation