FBI:強大な権限が大スキャンダルの引き金に

著:Douglas M. Charlesペンシルバニア州立大学 Associate Professor of History)

 米連邦捜査局(FBI)を舞台にした劇的な事件は珍しいものではない。109年の歴史があることからしても、FBIでは多くのスキャンダルが発生し、そのたびに長官の交代劇があった。

 事実、長官は、今も昔もFBIの顔であり、その推進役だ。歴代長官の多くは任期満了で退任したり別の職に就いたりしたが、4人は辞任を迫られ、うち解任されたのはわずか2人である(うち1人は最近のジェームズ・コミー前長官)。

 FBI長官はつねに歴代大統領の意に沿うよう任務を遂行したが、大統領との距離感は様々だった。特に顕著なのがJ・エドガー・フーヴァー(在任期間:1924~1972年)で、特定の大統領の下でその政治的な関心に応えるような仕事をしたかと思えば、別の大統領を陰で非難していた。1972年にフーヴァーが死去し、その権力の乱用が明らかになって以降、連邦政府は、FBI長官をホワイトハウスから独立した公職とするようになっている。

 FBIとその任務について長く研究してきた歴史学者として、私は、ジェームズ・コミー前長官の解任とその後に予想される事態について正しく理解するには、FBIの歴史を理解することが不可欠だと信じている。

◆FBIの起源
 進歩主義時代の1908年にFBIが創設された当時、連邦法の執行は十分ではなかった。司法省が創設されたのはそのわずか38年前。レコンストラクション時代の1870年、司法省は、とりわけクー・クルックス・クラン(KKK)を弱体化させてアフリカ系アメリカ人の憲法上の権利を保護する取り組みを行っていた。

 米国が急速かつ大がかりな産業化を迎えるなかで、1つの現状認識が生まれた。それは、蔓延する企業の汚職や権力乱用に影響を与えられるほどの権限を持つのは連邦政府に限られるというものだった。当時のセオドア・ルーズベルト大統領は、大統領令にて捜査局を創設(「連邦」の名称が付されるのは1935年)。主席監察官の職にあったスタンレー・フィンチが初代局長に就任した。「長官」の名称が用いられるのは、さらに後のことである。

 FBIが創設された当時、その任務は、不正を行う企業の財務記録をしらみつぶしに調べることで、連邦による独占禁止法および州際通商法の執行に協力することだった。他方、司法省の代理人は起訴を担当した。FBIのこの任務は、株式会社資本主義の権利乱用的な側面を規制することに関心のあったルーズベルト大統領の強い要請によって課されたものだった。しかし、時の経過とともにFBIとその長官の責任の範囲は拡大し、独立性も強くなっていく。ただ、権限と独立性の均衡を図るのは困難なケースもあり、結果としてスキャンダルが生まれた。

◆権力の拡大
 フィンチ局長は売春問題に没頭し、この問題を「悪魔」と罵り、その脅威について広く説明する文章を書いた。FBIのトップとして、この問題を貪るように追求したのだ。

 彼の取り組みは、「不道徳な目的」で州を超えて女性を移送させることを禁じた1910年の白人奴隷輸送禁止法の成立を契機としていた。同局の捜査権限は、売春組織を標的とするところまで急速に拡大していく。ただし、法律用語は曖昧で、結果としてFBIは、道徳観および男性・女性の適切な役割についての考え方を執行する立場となった。

 1919年の自動車窃盗法成立により、FBIは、州を超える自動車窃盗犯罪も捜査対象とするようになる(1930年代の犯罪人ジョン・ディリンジャー等)。両法の規定による捜査上の現実的な要請により、FBIはワシントンDCのオフィスで企業の財務報告を確認するというよりは、実地の犯罪を捜査する必要性が生まれた。FBIは全国に支局を設けるようになる。

 第一次世界大戦中も再びFBIの権限は拡大した。この時期、国内の治安問題にも進出している。移民やイタリア系アメリカ人など、いわゆる「外国系アメリカ人」、ドイツのスパイ行為や破壊行為といった外的な影響力に関する恐怖が蔓延していた時期だ。FBIは独立的な立場で、スパイ行為、扇動行為、為替取引、移民を対象とする新法を執行していった。

 当時の局長はブルース・ビエラスキ。彼はフィンチの元部下で、弁護士、父親が大臣経験者、司法省野球チームのメンバーだった。彼の在任中、議会は選抜徴兵法に関して連邦による執行案件を多数、調査した。FBIは、拘束された人物が徴兵招集に登録したことを証明できるまで、対象者を一斉検挙のうえ不法に拘留。ビエラスキ局長は最終的に、強制捜査の扱いをめぐり1919年2月に辞任を余儀なくされている。

 1920年代に入っても、FBIの不適切な捜査は止まなかった。初めて「長官」の肩書を用いたFBIトップのウィリアム・J・バーンズの下で、ウォーターゲートがこの国の政治スキャンダルの先駆的事件となる前の最大のスキャンダルである「ティーポット・ドーム事件」が起きる。

 ウォーレン・ハーディング大統領政権下で金銭的な苦境に喘いでいたアルバート・フォール内務長官は、見返り金の提供を条件に、米海軍の持つ緊急用のティーポット・ドーム油田(ワイオミング州)の採掘を石油会社に許可した。最終的に、バートン・ウィラー上院議員らがこの不正行為を認識し、調査が開始された。

 ハリー・ドアティ司法長官からの要請もあり、バーンズ長官は上院による調査を中止させようとした。バーンズは民間探偵社のオーナーで、捜査の終わりは手段の正当化と考える傾向があり、力のある人物を標的とすることを恐れなかった。そのため、彼はウィーラー上院議員の悪い噂をかき集めるために捜査官を派遣したが、ドアティ長官ともども何も見つけられず、ウィーラー議員に関する根も葉もない汚職案件をでっち上げて、それが裏目に出た。司法長官は解任されて改革派の人物が就任。新長官は1924年、信用が失墜したバーンズ長官に辞職を要求した。FBIは、J・エドガー・フーヴァー時代を迎える。

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フーヴァー長官 / Federal Bureau of Investigation

 フーヴァーのもと、FBIはどちらかというと小ぶりだった組織から、大規模、専門家的、影響力のある法執行機関、国家安全保障機関へと進化していった。1930年代、有名なギャングを標的とするのに、逮捕権を前提としつつ、プロセスと科学的な検知技法の採用に注力した。当時のフランクリン・ルーズベルト大統領の下、この機関は、国家安全保障と情報調査を最優先させる方向にシフトしていった。

 時を経て、フーヴァー時代のFBIは、政治的な機密情報収集、猥褻調査機密ファイルのほか、アフリカ系アメリカ人男性同性愛者、戦争抗議者、極左集団を標的とした捜査で悪名高い存在ともなった。

◆現代のFBI
 1972年のフーヴァー長官の死後、一般大衆はFBIによる実際の活動を知るようになり、FBIは失われた評判を回復するための取り組みを行う。さらに議会は、長官の任期を規則的な10年としたが、これは48年間も長官の座にあったフーヴァーのような人物による権力乱用を回避するのが目的だった。また、これによりFBI長官が、党派心の強い大統領の関心事に従属しなくても済むようになった。

 ウォーターゲート事件の数週間前、ニクソン大統領のごますり男と言われたL・パトリック・グレイがフーヴァーの後任長官となり、ニクソンにより終身長官として任務を遂行するよう指名がなされた。しかしながら、ウォーターゲート事件に関連するファイルを破棄したと白状した後、彼はすぐさま指名を辞退し、1973年4月に終身長官としての役職を辞した。

 以降は、元連邦判事のウィリアム・セッションズが1987年にロナルド・レーガン大統領政権下で長官に就任し、ホワイトカラー犯罪への対応に注力した。しかしセッションズ長官は、FBIの資源を私的な旅行や自宅の修繕に使用したことで事務手続きや連邦法に違反。詳細にわたる内部の倫理捜査が終了した後も、辞任を求めるホワイトハウスの意向に反し半年にわたって抵抗を続けた。遂にはビル・クリントン大統領自らセッションズ長官に電話をかけ、1993年7月に解任。FBI長官の解任は、史上初めてのことだった。

 この事件で私たちが思い出すのは、ジェームズ・コミーだ。彼はボーイスカウトでの評判と独立的な気質で有名な人物だが、今では、いきなり解任された史上2人目のFBI長官となった。彼が解任された理由は今なお定まっていないが、ヒラリー・クリントンのeメール問題、もしくはトランプ=ロシア関係の捜査のいずれかに注目が集まっている。ただ、内部的な調査が最初に行われたセッションズ長官のケースとは異なり、2016年大統領選挙でのコミー前長官の行動を司法長官が検証する作業はまだ完了しておらず、現在の状況も不明確だ。

 また、半年も辞任要求の圧力がかけられたセッションズとは異なり、コミー前長官の解任は唐突で、しかも、解任当日に忠告内容が書かれた一片の書類を用いるという、間接的な方法が取られた。彼はFBI支局訪問中に、ニュース報道でそれを知ったのだった。あらゆる事態が今後どのように展開していくかは不透明だが、今回の件はFBI長官の長い歴史を紐解いても劇的な瞬間といえる。その時代時代に合った方法があるのだろう。

This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by Conyac
catch eye photo Federal Bureau of Investigation

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Text by The Conversation