「イタリア人男性はナンパ上手?」の質問ちょっと待って -脱偏見から生まれる新たな世界-

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 異国にルーツを持つ人と初対面で言葉を交わす際に多くの人が似たような質問をする。「どこから来たの? 日本料理を食べられる? 日本にいるのは長い?」といった具合である。最初に相手とコミュニケーションを取るにはこのようなありふれた会話が避けられないのであろう。

 しかし、相手の出身地によってつい偏見に基づく質問をしてしまうこともある。たとえば、筆者はイタリア人だと伝えると、必ずと言っていいほど「イタリア人男性はナンパが上手だね?」と聞かれるのである。

 普通の疑問だと思われるかもしれないが、実はその質問の裏に様々なレベルでステレオタイプが潜んでいる。そもそも日本におけるイタリア人男性像はどのように作り上げられたのか、またどのようにその偏見を超えられるのであろうか?

◆テレビが作り上げたイタリア人男性像
 テレビをつけるとしばしば異国にルーツを持つタレントが集まる番組を見かける。多少ステレオタイプ的な人物が多いが、私の注目を最も引くのはイタリア人男性の発言である。このようなテレビ番組に登場するイタリア人タレントは必ずスタジオにいる女性をナンパするなり、自分のナンパ技を自慢するなり、「男らしい」というイメージを前面に押し出す。

 テレビはエンターテイメントを提供するものなので当然おもしろおかしい人物のほうが受けがよく印象に残るはずである。しかし、そのような番組を観ることによって「イタリア男=ナンパ」というステレオタイプをつい抱いてしまう人が少なくない。

 忘れてはいけないのは、番組で放送されているのは作り上げられたイメージであり、ある程度のパフォーマンスが含まれているということである。その虚構性に気づくと、実はより深く異文化を楽しめるのではないだろうか。たとえば、「イタリア人男性はナンパが上手か?」という疑問を新たな視点から投げ掛けるだけで考察を広げることができる。具体的に見ていこう。

◆決めつけずに常に疑問をもつこと
 異文化コミュニケーションにおいては「決めつける」ことが最も危険なことである。テレビなどのメディアに報道される情報は「事実」として受け入れるのではなく、常にその真相を問うべきである。

 イタリア人と話す機会があれば、「イタリア男はナンパ上手だ」と決めつけずに、「日本ではイタリア人男性はこのようなイメージを持たれているけど、どう思う?」と聞いたほうが新鮮な気づきに出会えるはずである。

 ちなみに、その質問をされたら筆者はこう答える。イタリア人はオープンで社交的なイメージがあるが、当然シャイな人も多いし、必ずしも積極的に女性に声をかける人ばかりではない、と。

「国民性」というカテゴリーを棄てることによって、同じ国とはいえ北と南の違い、あるいは個々人の違いがどれだけ大きいかということを学ぶことができるのではないだろうか。

◆「男らしい」どころか滑稽な姿を見せる男性
 異国にルーツを持つ人と実際にコミュニケーションを取ることによって、テレビで報道されない側面も知り、偏見を超えることができるのである。

 たとえば、日本ではナンパができる男性が「格好いい」「男らしい」と思われがちであるが、必ずしもそうとは限らない。褒め上手でモテる人が多いとされているイタリア人男性だが、「君は空から落ちた星だ」「お母さんはよく頑張ったな」など、実は女性に対して滑稽な発言が多い。

◆性的偏見に要注意
 もう一歩踏み込んで考えてみると、「イタリア男はナンパが上手」という先入観を表す発言はより深いレベルでも不愉快であることが理解できる。つまり、それは男性が女性にしか興味を持たないという強制的異性愛が内面化した上での発言であり、同性愛者の存在を考慮していないということだからだ。

 また、女性はナンパを受ける側として男性目線で評価される性的対象という消極的な立場を強いられるということであり、「イタリア男はナンパが上手」という単純な言葉の裏には実は恐ろしいジェンダー・バイアスが潜んでいるのである。

◆想像を膨らませ世界を広げる
「国民」、「人種」、「ジェンダー」などにまつわるステレオタイプは我々の意識に深く根付いているため、大した意味がないと思っている発言に潜む偏見に気づくのは容易なことではない。当たり前のように使われているためその思い込みは共通認識の一部となり、そのように作り上げられた「リアリティ」から逃れるのは大いに努力を必要とする。しかし、想像を膨らませ、積極的に疑う姿勢を取ってみると新たな世界が目の前に広がっていることに気づくはずだ。

 先入観から有意義な会話はなかなか生まれないが、偏見のない好奇心はきっと、発見があふれるより刺激的な道へ導いてくれるであろう。今度こそ異文化コミュニケーションの機会を活かしてその道を歩んでみてはいかがだろうか。

Text by グアリーニ・レティツィア