紫式部に関する逸話10選 源氏物語に別作者が? 日記に清少納言批判?

土佐光起画 / Wikimedia Commons

 平安時代の類い希なる小説家であった紫式部は、いまから1000年以上も前の1010年代、代表作『源氏物語』を完成させたといわれる。世界初の長編小説として、日本だけでなく海外でも知られる色褪せない名作だ。宮中の恋愛模様を巧みな筆致で描いて大ヒットさせた紫式部の生き様は、今年2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』でも取り上げられる。二千円札の肖像にもなっている平安時代の作家は、いかにして名著を手がけたのか。本稿では10の逸話に迫る。

◆1.高貴な家柄ながらも没落のさなか

Fang ChunKai / Shutterstock.com

 雅なイメージの強い紫式部だが、常に満ち足りた生涯を送ったわけではない。天延元年(西暦973年)、藤原北家の流れをくむ傑出した家柄の両親の元に生まれるも、少女時代になる頃には生家は没落への道を辿りつつあった。幼くして母を亡くしたことも、多感な少女時代に暗い影を落としたことだろう。結果として父・藤原為時(ためとき)の手で育てられた。のちに開花する文学の才能は、漢詩に秀でた父の影響もあったのだろう。

◆2.『源氏物語』は完成に9年

『源氏物語絵巻』より『源氏物語』第38帖「鈴虫」 / Wikimedia Commons

 代表作『源氏物語』は、全54帖(巻)にわたる大作だ。すべて一度に著されたわけではなく、実に9年間という歳月を費やして随時世に発表された。もっとも、最後の10帖にあたる『宇治十帖(うじじゅうじょう)』については、紫式部本人ではなく別の著者が存在するのではないかとの説もある。

 いずれにせよ、世界初の長編小説として海外でも一定の認知を得ており、日本語以外に20以上の言語に翻訳されている。ちなみに紫式部が後世に残したのは同作だけでなく、『紫式部日記』や『紫式部集』などがある。

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Text by 青葉やまと