今こそ読みたい!倉橋由美子の知的ワールド イタリア人留学生がお薦めする日本文学

 日本はもちろん、海外にいるときも筆者が「日本文学を研究している」と言うと「村上春樹を?」としばしば聞かれる。なるほど、村上氏の作品が次から次へと世界各国で翻訳され(英語をはじめ、50ヶ国語に訳されている)、「日本文学=ハルキムラカミ」というイメージが世界中の読者の意識に根付いてきたからだと思われる。

 日本で脚光を浴びた作家の作品は海外でも翻訳され、海外の各出版社のマーケティング戦略の助けもあり、大きな成功を収めている例は少なくない。一方、優れた作品を執筆したにもかかわらず日本であまり注目されなかった作家は、海外で知られる機会はほぼなく、日本でも忘却されていく運命にあるようだ。それゆえに人気作家だけが海外における「日本」のイメージを作り、そのことが他作家の可能性を制限しているということもあるのではないないだろうか。

 実は日本で名前さえ忘れかけられている作家を探してみると、ときに非常に素晴らしい文章に出逢えることがある。60年代から活躍し、日本で愛読されている『星の王子さま』も新訳した倉橋由美子氏もその一人である。鋭い分析力、また思わず息をのむほど豊かな想像力にあふれる倉橋氏の皮肉めいた文章を、今こそ読むべきである。

◆あらゆるイデオロギーを解体する風刺
 倉橋由美子氏の作品は絶版となっているものが多いため、本屋でほとんど見つからない。文庫化された作品、また電子化された作品以外は古本屋で探さないといけないため一苦労である。

 それでも倉橋文学に近づいてみたい読者はまず、第15回泉鏡花文学賞を受賞した『アマノン国往還記』(1986年)を読むべきであろう。『アマノン国往還記』は宗教、ジェンダー、天皇制まで風刺しており、80年代の日本社会におけるイデオロギーを露わにする作品である。

 本作品では、モノカミ教を布教するため、モノカミ教団が支配する世界からアマノン国に派遣された主人公の宣教師Pの冒険が描かれている。女性国であるアマノン国では、男を排除し生殖が人工受精によって行われており、思想や観念が一切受け容れられていない。このような国におけるPの(性)冒険がどのような結末を迎えるのか、読者が最後までエログロの世界に巻き込まれるのである。

『アマノン国往還記』を読めば、ジェンダーイデオロギーの解体、シューレアリズム、ユーモア、間テクスト性など、倉橋文学を代表するすべての要素に触れることができるため、ぜひお勧めしたい。

◆大人だからこそ楽しめる「残酷童話」
 昨今『白雪姫と鏡の女王』(2012年)や『マレフィセント』(2014年)をはじめ、おとぎ話を新たな視点から語る映画が人気を集めている。子ども向けの映画だと思われがちなこれらの作品は、実は大人にも重要なメッセージを送っている。

 従来、おとぎ話や昔話には、か弱いお姫様を助ける勇敢な王子様や、あるいは世界で最も美しいものを決めるために競い合う女性などが頻繁に登場するが、それらがステレオタイプ化された性役割を我々の意識に植え付けることにもなっている。

 それらの物語を書き直す試みは、子どもはもちろん大人にも、従来自明と考えられてきた女性像・男性像の虚構性に気づかせ、性役割について考え直すきっかけを作ってくれているのだ。

 昔話の書き直しを試みた作品は映画のみならず、文学においても今もなお少なからず存在しており、日本文学においては倉橋由美子氏が代表的な例である。白雪姫やかぐや姫の物語の斬新な結末を知りたい場合は西洋のおとぎ話ないし日本の昔話を変形した『大人のための残酷童話』(1984年)や『老人のための残酷童話』(2003年)を読むべきだろう。

 王子さまの上半身と自分の下半身をつなぎ合わせられた人形姫や魔法の鏡を割って王子さまとめでたく結婚する白雪姫の継母の物語など、倉橋の童話が大人こそ楽しめる淫猥な欲望と鋭いユーモアに満ちている。

◆鋭い評論家としての倉橋由美子
 倉橋由美子氏は豊かな想像力の持ち主というだけではなく、非常に鋭い分析力を持っている評論家でもあった。『迷路の旅人』(1972年)、『最後から二番目の毒想』(1986年)、『偏愛文学館』(2005年)など、エッセイも数多くある。全体的に倉橋氏のエッセイに触れてみたいならば『最後の祝宴』(2015年)から読み始めてもいいだろう。

 日本文学はもちろん、海外文学の評論や60年代以降の日本社会を分析する非常に興味深い文章も多く、文学専門家でない読者も倉橋氏の知的解釈力を楽しめるのではないだろうか。

Text by グアリーニ・レティツィア