日本に野球を伝えたアメリカ人、子孫からはほぼ忘れられる

 3月28日東京ドームで行われた開幕戦始球式で、キャロライン・ケネディ駐日大使が投球した。ワシントン・ポストによると大使は、野球は日米間を結び付ける大切な役割を担ってきたとコメントした。

 両国の野球の歴史は1872(明治5)年にさかのぼる。日本に最初に野球を伝えたアメリカ人の名はホーレス・ウィルソン。氏が日本に伝えた野球はその後、日本全国へと広まり、今日の繁栄に至る。

【日本野球の父、ホーレス・ウィルソン】
 ホーレス・ウィルソンは、アメリカ最東北部のメイン州の農家生まれ。南北戦争に従軍後、1871年(明治4年)にお雇い外国人として来日。第一番中学(現在の東京大学)で英語や数学の教鞭をとるかたわら、生徒に野球を教えた。その後、校舎が新しくなるとともに、立派な運動場が整備されると試合が出来るまでになった。これが「日本の野球の始まり」といわれている。

 1877年に帰国したウィルソン氏は、サンフランシスコに移り住み、1927年に84歳で亡くなった。2003年に、日本に野球を伝えた功績を称えられ、「新世紀特別表彰者」として野球殿堂入りした。

【日本への招待】
 米公共ラジオネットワーク、ナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)では、ウィルソン氏の遠い姪にあたるセオ・バルコムさんがその記憶を語っている。

 日本滞在時にウィルソン氏が家族に宛てた手紙には、野球のことも日本のことも書かれていなかった。日本では野球の父として語り継がれているが、意外にも氏の家族はその事実をほとんど忘れかけていたという。

 2000年の夏、ジャーナリストと日本野球連盟の代表者が通訳を連れてセオさんの家を訪れる。セオさんは、日本からわざわざ叔父の生家を拝みにきたことに驚いたという。夕飯が終わり、一通りのもてなしが済んでほっとした時、訪問者のひとりがウィルソン氏を記念して一家を日本に招待したいと申し出た。

【高校野球の始球式】
 セオさんは父親、いとこ、叔母の4人で来日。最高のもてなしを受けた当時を振り返る。どこに行くにも運転手と通訳、付添い人がおり、主催者はウィルソン家に楽しんでもらうことに必死だったという。実際のところ、家族は日本に来られただけで充分喜んでいた。

 全国高校野球大会には、要人として参加。セオさんといとこは、ヘリコプターからパラシュートで降りてきたボールを持ってホームベースまで走った。始球式で投球する日系アメリカ人の宇宙飛行士にボールを渡すためだ。

 数千の野球ファンが歓声を浴びせ、新聞記事になり、道ではサインや写真を求められた。当時のセオさんの日記には、「野球選手がいっしょに写真を撮りたいと言った。試合に負けたわりにはとても嬉しそうだった」とある。

【野球殿堂入り】
 2003年にウィルソン氏が日本の野球殿堂入りした際、主催者はウィルソン家に重い青銅の額を送ってきた。家族はひそかにこの額を“ホーレス神社”と呼んでいるという。

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Text by NewSphere 編集部