多言語主義が経済成長に効果的なワケ

著:Gabrielle Hogan-Brunブリストル大学 Research Fellow in Language Studies)

 「英語が話せる国民だけを相手に商売するのが戦略だとすれば、その戦略は失敗するだろう。」

 米国きってのエコノミスト、ローレンス・サマーズ氏は、米国が英国とのいわゆる「蜜月関係」に重点を置いていることに関して最近こうツイートした。彼のいうことには確かに一理ある。米国とは異なる国々との貿易障壁を断つことの経済的影響は米国にとってもその他の国々にとっても計り知れないものがあるに違いない。

 国家レベルの大企業でも、より小規模な企業でも、言語の力はモノをいう。フィラデルフィアにあるチーズステーキの有名店ジェノ(Geno)は英語以外の言語で注文する顧客の注文を拒んでいたが、2011年になってようやくそう記してあった看板を取り外した。

 小さな会社一社がこのような閉鎖的なアプローチを取ることにしたからといって経済全体に対する影響は取るに足りない。しかし、ドナルド・トランプ氏の大統領選出によって今や米国内には圧倒的な保護主義的な感情が存在し、これが経済に及ぼす影響ははるかに大きい。トランプ大統領の米国第一の貿易主義は、この国が数十年にわたり自由貿易の最大の推進国であったのとは際立って対照的だ。このような孤立主義的な発言は交流、イノベーション、成長に対する扉を閉ざしているかのように見える。自由貿易が米国に繁栄をもたらしてきたにもかかわらず、である。

 中国、エジプト、ギリシャ、ローマなどの古代文明の隆盛は文化間の貿易によってもたらされた。古代の商人は言語の隔たりを超えて経済的利益を生むためには顧客を理解することが必要であることをすでに知っていた。その1人がマルコ・ポーロだ。マルコ・ポーロは多くの言語を操る商人として地中海から中国にいたる地域で商売をして成功を収めた。

 同様に今日でも、物事をわきまえた起業家は複数の言語を視野に入れている。拙著『Linguanomics. What is the Market Potential of Multilingualism?』のための研究の際に多くの事例を見つけた。例えばFacebookを立ち上げたマーク・ザッカーバーグ氏は中国語を勉強している。ザッカーバーグ氏の奥さんは中国系だから、中国語を学ぶ個人的な動機があるのだ、という人もいるかもしれないが、そればかりでなく市場重視の重要な誘因がある。Facebookは長年中国市場への進出に取り組んでいるからだ。

 これについて、ザッカーバーグ氏はドイツ連邦共和国のヴィリー・ブラント元首相が語った有名な名言「私が売る側に立つ時には相手国の言語を話すが、買う側に立つ時にはdann müssen Sie Deutsch sprechen(ドイツ語を話してくれ)」に従っている。この言葉は現在でも「お客様は神様」であることを示している。

◆言語の経済的力
 新市場をEU以外に求める英国は新たな言語能力の必要性に迫られている。各企業がこの課題に応えることができるかどうかは国際貿易のための多言語を操る人材をストックしているかどうかにかかっている。英国人は英語以外の言語を話すのが苦手だと主張しているから、これには人材の自由な移動が必要になる。現在の政府統計によると、労働力の言語能力が劣っている結果、毎年英国のGDPは約3.5パーセント減少している。

 対照的に、一見単一言語主義であるかのように見える米国には幅広い言語の人材が蓄えられている。歴史的背景に根差した文化的な融合が存在するためだ。ジェノが主張したところで、実際、英語は米国の公用語ではないのだ。これはこの国の多様な文化的背景を認めるものだ。だが、表面に現れていない多様性の混交を犠牲にして言語単一主義を戦略的に推し進めれば、経済に打撃を与えることになろう。事実、最近の研究によると、米国の企業の6社に1社が労働力に言語能力と文化的意識を欠いているために競争に敗れている。

 他の国々はグローバル化した経済において多言語主義を、交換価値を有するリソースとして開発することがいかに可能であるかを示している。スイスを例にとってみると、多言語の経済価値はスイスのGDPの10%に当たると推定されている。それは多くの企業や組織の構成員はやすやすと数か国語を操るためだ。

 米国の最近の保護主義の傾向が英国やヨーロッパに定着することになれば、中国、インド、メキシコ、インドネシア、トルコなどの国々に利益を譲ることになろう。ますます多様化されている世界経済の中でそのうち、英語の重要度は減少してくるかもしれない。「アメリカを再び偉大にしよう(Make America Great Again)」とした結果、英語の立場が弱くなるとすればなんとも皮肉な話である。

This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by サンチェスユミエ
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The Conversation

Text by The Conversation