結婚時に「再婚許可証」もらう妻も!? 意外な江戸時代の結婚・離婚事情
「いつかは結婚を」と漠然と考えながらも、独身のまま50歳を迎える人が近年、増えている。時代をさかのぼり、江戸時代ではどうだったのだろう。多くの人が結婚して添い遂げていたイメージがあるが、じつは離婚率が高かった。離婚につきまとうマイナスイメージもなく、女性の場合、むしろ結婚回数が多いほど敬われるケースすらあったという。
◆江戸の町では男性が余っていた
江戸中期以降、農村部では結婚率がきわめて高かった。たとえば、信濃国湯丹沢村の16歳以上の未婚率は1675年時点で男子46%、女子32%だったが、1771年にはそれぞれ30%、14%に下がった。陸奥国下守屋村と仁井田村の1870年の未婚率は45~49歳の男子で4.8%、女子で0.6%。ほとんどが結婚している。だが離婚率も高く、両村の平均で4.8%に達する高水準だった(縄田康光「歴史的に見た日本の人口と家族」、『立法と調査』№260)。
一方、同じ頃の江戸の町は、人口100万を超える世界有数の大都市で、男女比がほぼ2対1の男性過多社会。男性が余っている状態で、女性の再婚はありふれたことだった。3回以上結婚した女性も珍しくなく、経験豊富ということでむしろ貴重に見られたという。というのも、男性がなるべくあぶれないように女性の再婚を幕府が奨励していたのだ。いわゆる「出戻り」も普通のことで、恥ずかしいことではなかった。なお、当時は「出戻り」ではなく「元帰り」「呼び戻し」といった。
もっとも、こうしたことは庶民に限られ、武家の女性は「貞女は二夫にまみえず(貞淑な妻は夫の死後も再婚しない)」といって、再婚や里帰りは戒められる。身分が上がるほど女性は「家」に押し込められていた。