『アイズ ワイド シャット』“消えた20分”は存在した? キューブリック監督の娘が回答

ニコール・キッドマンとトム・クルーズ(1999年)|Featureflash Photo Agency / Shutterstock.com

 映画界の巨匠スタンリー・キューブリック監督の遺作『アイズ ワイド シャット』をめぐり、長年ささやかれてきた「消えた20分」説。キューブリック監督の死後、約20分の映像が作品から削除されたというものだ。監督の娘ヴィヴィアン・キューブリック氏が9月1日、この説についてXへの長文投稿で見解を明らかにした

◆監督急死で広がった「20分削除説」
 トム・クルーズとニコール・キッドマンが出演する『アイズ ワイド シャット』は、医師のビルが妻の告白をきっかけに夜のニューヨークをさまよい、仮面をつけた人々による秘密めいた集会に迷い込む物語だ。

 キューブリック監督は公開を待たず、1999年3月7日に70歳で急死した。

 その直前には、ワーナー・ブラザース幹部とクルーズ、キッドマンに作品を披露していた。ロサンゼルス・タイムズ紙は監督の死から2日後、試写を見たスタジオ幹部が作品は完成しているとの認識を示していたと報じている

 しかし、作品を見せてからわずか数日後に監督が亡くなり、映画の公開は約4か月後だった。この経緯もあって、公開版はキューブリック監督が意図した最終版ではなく、死後に何者かが手を加えたのではないかとの説が広まっていった。そのなかで、約20分が削除された、別の結末が存在したといった話も語られるようになった。

 近年、この説に再び注目を集めるきっかけの一つとなったのが、映画監督・脚本家ロジャー・エイヴァリー氏の発言だ。

 エイヴァリー氏は2024年12月、ポッドキャスト『ジョー・ローガン・エクスペリエンス』で、『アイズ ワイド シャット』はキューブリック監督の死後に変更されたとの見方を示した

 自身をキューブリック作品の研究者だとするエイヴァリー氏は、公開版には監督なら残さなかったと思われる場面があるほか、本来あるはずのナレーションがないなどとして、何らかの変更が加えられたのではないかと推測した。ただし、エイヴァリー氏は『アイズ ワイド シャット』の制作には参加していない。

◆娘「当時もその後も聞いていない」
 ヴィヴィアン氏によると、父親が亡くなった時点で『アイズ ワイド シャット』は「ピクチャーロック」と呼ばれる、映像編集をほぼ確定させる段階に達していた。一方、最終的な音響ミックスや音楽など、ポストプロダクションの一部は残っていたという。

 死後の変更としてヴィヴィアン氏が当時聞いていたのは、アメリカでR指定を得るため、乱交シーンで裸体の一部を隠す人物をデジタルで加える処理だけだった。場面そのものが削除されたとは聞いていなかったとしている。

 実際、この処理については1999年当時にも報じられている。米タイム誌はプロデューサーのヤン・ハーラン氏の説明として、より厳しいNC-17指定を避けるため、露骨な描写の一部をデジタル処理で隠す方法をキューブリック監督自身が考えていたと伝えている

 クルーズも同誌に対し、映画にはキューブリック監督が承認していないものはないとの趣旨を語っていた。

 つまり、キューブリック監督の死後にも公開へ向けた作業が続き、映像へのデジタル処理も行われたことは事実だ。しかし、それと「物語の約20分が秘密裏に削除された」という説は別の話になる。

 ヴィヴィアン氏はまた、父親は映画を完成させると、未使用となった映像を焼却させていたと説明した。後にスタジオが作品を再編集したり、別バージョンを作ったりすることを防ぐためだったという。

 そのため、仮に削除された映像が存在したとしても、現在になって未使用フィルムなどを探し出せるとは限らない。一方でヴィヴィアン氏は、そうした素材が残っていないことは、「消えた20分」が存在した証拠にもならないと指摘する。

 自身は父親が亡くなった直後のすべての出来事を把握していたわけではないとも認めている。当時はロサンゼルスに住んでおり、葬儀のためイギリスへ戻ったものの、仕事のため埋葬翌日にはアメリカへ戻らなければならなかったという。

 それでもヴィヴィアン氏は、当時「消えた20分」について聞いたことはなく、その後も存在を裏付ける証拠を見たり示されたりしたことはないと強調した。もし本当に20分もの映像が削除されていたなら、その後、父親の作品を守る活動に深く関わるなかで知ることになったはずだとしている。

 そのうえでヴィヴィアン氏は、20分が削除されたことを示す確かな証拠が出てこない限り、この説は「確立された事実ではなく、陰謀論」だとの考えを示している。

◆実際の編集担当者も「完全に事実ではない」
 「消えた20分」説を否定しているのは、ヴィヴィアン氏だけではない。

 『アイズ ワイド シャット』でキューブリック監督と編集作業を行ったナイジェル・ゴルト氏も2025年11月、映画メディア「The Film Stage」のインタビューで、20分以上が削除されたとの説について「完全に事実ではない」と否定している。

 ゴルト氏によると、ワーナー幹部やクルーズ、キッドマンに作品を見せた後、キューブリック監督はその反応を非常に喜んでいた。監督が亡くなった時点で映像面に残っていたのは、建物の外観を示すカットを加えるといった細かな編集作業だったという。

 ゴルト氏は、作品に「欠けているものは何もなかった」とし、監督が亡くなった日の時点で存在した編集版こそ「スタンリーのカット」だったと説明している。

 キューブリック監督が生きていれば、公開までに音響や色調を含む細部をさらに調整していた可能性はある。ヴィヴィアン氏も、自身の知らないことがあった可能性までは否定していない。

 ただ、現時点で「キューブリック監督の死後、約20分が作品から削除された」ことを裏付ける具体的な証拠は確認されていない。むしろ監督の娘と、実際に編集作業をともにした人物はともに、この説を否定している。

 公開から27年。作品そのものと同様、多くの謎や解釈を生んできた『アイズ ワイド シャット』だが、「消えた20分」については、いまのところ実在を示す証拠のない伝説ということになりそうだ。

Text by 白石千尋