マイケル伝記映画が描かなかった性的虐待疑惑 大ヒットも「神話化」との批判

映画『Michael』でマイケル・ジャクソンを演じるジャファー・ジャクソン|Glen Wilson / Lionsgate via AP

 マイケル・ジャクソンの伝記映画『Michael/マイケル』が世界で大ヒットしている。アメリカでの興行収入は公開初週末に9700万ドル(約155億円)を記録し、伝記映画として史上最大のオープニング成績となった。全米の累計興行成績は3億5000万ドル、世界では8億8000万ドルを超えており(6月8日現在)、ファンの熱狂が続いている。しかし映画のなかでは私生活を巡る疑惑にはほとんど触れられておらず、そうした構成について、マイケルの神話化を図っているとの批判が出ている。

◆関係者は疑惑を否定 マイケルの不都合な過去
 映画は、マイケルの幼少期とスターとしての第一歩に焦点を当て、ジャクソン5として兄弟たちと共演した時代から、ソロ転向後の1988年にロンドンで行われ大成功を収めたコンサートに至るまでの軌跡が描かれている。しかし、彼の人生の後半の物議を醸した時期に関しては語られないまま、映画は終わっている。

 現在でも議論が続いているのが、児童性的虐待疑惑だ。1993年に、13歳の少年がマイケルから性的虐待を受けたと告発したが、最終的に2000万ドルで示談が成立したとされる。2003年には、別の少年に対する児童性的虐待など10の罪状でマイケルは逮捕・起訴されたが、2005年にすべての罪状について無罪判決が下された。さらに死後の2019年には、ドキュメンタリー『ネバーランドにさよならを』で2人の男性が幼少期にマイケルから性的被害を受けたと主張し波紋を呼んだ。

 ジャクソン家や遺産管理団体は、児童性的虐待に関するすべての疑惑を一貫して否定している。『Michael/マイケル』の監督のアントワーン・フークアは、一部の告発者について金銭目的の可能性を示唆する見方をニューヨーカー誌のインタビューで示している。

◆大人になり切れなかったスター 映画が描くマイケル
 一方、『ネバーランドにさよならを』を監督したダン・リード氏は、今回の伝記映画はマイケルの本質を全く掘り下げていないと指摘。マイケルの遺産を守りたいジャクソン家の意向で、彼を風変わりな大人になりきれていない子供として描くことで、彼と少年たちとの関係を完全に歪めていると主張した。

 リード氏は、マイケルが幼い少年たちと長い時間を過ごし、同じベッドで寝ていたことなどは広く知られていると主張。そのうえで、こうした行為は児童性的虐待を疑わせるのに十分なものであり、通常であれば厳しく追及されるはずだったが、マイケルの場合はそうならなかったと述べている。(エンタメ業界紙、バラエティ

 米公共ラジオ(NPR)の音楽特派員、ロドニー・カーマイケル氏は、マイケルに対して人々が信じていたのは幻想だったと指摘。数億枚ものレコードが売れるためには、人々は彼がステージに立つときは集団として現実を忘れる必要があったとする。しかしステージを降りた彼の私生活には疑わしい側面があり、社会はムーンウォークするマイケルを崇拝しつつも、彼のセクシャリティに疑問を投げかけ、その曖昧さを怪訝な目で見つめ、変わり者として嘲笑したと述べる。結局のところ、この伝記映画の使命は、30年にわたる児童性的虐待疑惑の影に覆われ悪役扱いされてきた主人公に対して、共感を抱かせることだったとしている。

◆若いファンが熱狂するマイケル 「神話化」との批判も
 大衆文化やファッション、時事問題を扱う米月刊誌、ヴァニティ・フェアによれば、当初は児童虐待疑惑も含め、マイケルの人生の後半も映画の中で描かれるはずだった。しかし、最初の訴訟の法的合意書に告発者の描写や言及を禁じるという条項があったことから実現しなかった。『Michael/マイケル』は批評家からは概ね酷評を受けたものの、商業的成功が明らかであるため、続編制作の可能性もあるという。利用できる未使用の素材が大量に残っているというが、先月にはカシオ家の兄弟姉妹4人による新たな性的虐待訴訟が遺産管理団体に提起されており、続編で疑惑への言及が可能かどうかは不明だと同誌は述べている。

 NPRのカーマイケル氏は、今やマイケルは「大きすぎて潰せない」存在であると同時に、もはや生身の人間として、致命的欠点や道徳的過ちの重荷を背負うことはなくなったと述べる。それだけに彼のオーラを売り込むことは避けられず、神格化された大スターに熱狂する若いファンたちが、彼の影に飲み込まれる危険があるとした。

 その一方で、『スリラー』のデビューから43年を経た今でも人々を楽しませていることは、マイケルの真の偉業だと同氏は述べる。ビジネスとして計算しつくされたハリウッドのプロパガンダがあることも助けになっているが、世界は彼の罪を許す、または忘れる準備ができている、あるいはその両方かもしれないとしている。

Text by 山川 真智子