チューリッヒ初開催の「ジャパン・フード・フェス」、あふれる日本への熱い想い
筆者撮影
4月下旬にスイス最大の都市チューリッヒで初開催されたジャパン・フード・フェス。「いくら会場使用料が割引される時期とはいえ、イエス・キリストが磔の刑に処された聖金曜日に行く人は少ないだろう」と客足の鈍さを想像し、午後3時の開場から1時間半くらい遅れて到着すると、もう会場全体が見渡せない人だかり。読みが甘かった……。キリスト教への信仰心より日本食への愛が勝ったのか。
4月18日から復活祭までの3日間、チューリッヒ市内の新開発地域オエリコンで開催されたジャパン・フード・フェスにはのべ1万人以上の人が訪れた。この祭りは昨年までツーク州で行われていたもので、主催者はフィリピンで生まれ育ったピアさんだ。
◆少女時代に目覚めた日本食への愛
ピアさんは7〜8歳の頃、スイス人の父に連れられて母親の母国フィリピンで初めてお寿司を食べた時のことを強烈に覚えている。それから日本食が大好きになり、毎週通うほどになったという。フィリピンの大学の心理学部を卒業後、イベントマネージャーとなったピアさんはご主人と一緒にスイスのツークに移住する。ジャパニマンガ・ナイトでは映画部門のリーダーを3年間務めた。欧州でも人気を博したアニメ映画『君の名は。』のスイス初上映も彼女の手腕による。

会場でのピアさん(右)|筆者撮影
初訪日を決めていた2020年1月、ツークで毎年開催されている「関西人会」に参加し、初めてさつま揚げなどの家庭的な日本食を食べたり、餅つきを体験したりして「こんな日本食祭りを開催したい!」と長年の日本食愛に火がついた。しかし話に乗ってくれる日本人は見つからず、一人でリサーチなどを始め、2022年7月にようやく第1回ジャパン・フード・フェス開催にこぎ着けた。
◆困難を超える日本食愛
「一人でも日本食祭りを創ろう!」と決意した頃は、コロナ禍でピアさんの初訪日も流れ、渡航制限で皆が日本食に飢えていた時期だったが、ようやくジャパン・フード・フェスが実現した2022年は、徐々にまた日本に行けるようになったタイミングと重なってしまった。それでも全14店のスタンドは初日に完売し、嬉しい悲鳴とともに、すべてのスタンド関係者は翌日に向けて商品作りに追われたという。

ツークのブルクバッハホールでの様子|ジャパン・フード・フェス提供
その翌2023年は、ちょうど3年に1度開催されるチューリッヒ祭りと被ってしまったこともあり、2024年からは4月に前倒しして開催されるようになった。
そしてツークの会場が手狭になってきたことを機に、今年は初のチューリッヒ開催を試みた。首都ベルンやルツェルン、ヴィール、ベッリンツォーナなど、ほかの街に元々あった日本祭りをピアさんは応援してきた経緯もあり、競争にならない土地ということで、日本祭りのなかったチューリッヒを選んだ。しかし、体験してみて初めて見えてきた「壁」があった。
◆各種店舗・イベントに長蛇の列
まずチューリッヒは電気代が高い。屋台はずっと電気を使い続けるため、前年に比べて経費の高騰が半端ではない。ほかにもすべての物価が高いうえ、会場も小さすぎるか、大きすぎるか、適当な大きさの場所が見つからない。今回6000人の来場者を見込んで契約した会場「ホール550」は結果的には小さすぎて、入場制限もかかり入り口の外まで行列ができた。

手前が入り口だが、間の公園を抜けて隣のホールの方まで長蛇の列|© Yves Vogelbacher
最終的には食品が19店、ドリンクバーが3店、日本関連の雑貨類が8店の計30店舗が出店。奥には各種催し物が披露される舞台も設置された。

和装小物の店も日本祭りの大切な舞台装置|© Håkan Hedström
実際に来場して一番困ったのは会場の配置図がないこと、という声が多く聞かれた。催し物のタイムテーブルも見えない。そして並んでいる人たちに目玉商品が売り切れていることが知らされず、無駄に並ばされたことは不満のもととなった。聞けるスタッフもいない。たこ焼きと餃子が人気だったというが、それらの列は長蛇の列で、ありつけたのは現地で開発されたと思われる3色の「ベジ餃子」。「ラビオリ」だと思えば美味だが、餃子と思って食べるとガッカリする。ほか、スイスでは入手しにくいインスタントラーメンが手に入ったことを喜んでいた人もいた。

インスタントラーメン各種や駄菓子などで子供にも人気だったお店|筆者撮影
ドリンクバーには手作りの抹茶ラテや抹茶のお菓子、5つの味のラムネやチューハイもあった。
長蛇の列にもめげず、皆穏やかに並んでおり、ようやく食べ物をゲットできた時にあふれる笑みがそのレベルの高さを証明する、と主催者チームは感嘆する。
食がメインではあるが、日本文化に触れることも忘れず、舞台上では激辛ラーメンコンテストや魚のおろし方のデモンストレーション、日本のテーブルマナー講義、舞踊、邦楽、そしてカラオケプログラムまで行われていた。また、折り紙や書道のワークショップ、そしてアニメから着物の店もあった。

© Yves Vogelbacher

© Yves Vogelbacher
◆今後の課題
ピアさんは、「このフェスは愛から成り立っているので、収益を得ようとは思っていない。儲けが出たら次回の費用に回している。入場料を取るという方法もあるが、スタンドで並んでお金を払うことを考えるとダブルの出費になるので、入場無料は死守したい。そのためにも、経費の全額をカバーしてくれるスポンサーが現れない限り、大きくしすぎないようにしている」と語るが、それと長蛇の列のバランスをどう取るのかが今後の課題だろう。

開場から約2時間後、待ちくたびれた人たちは人気食品を諦めて別のブースへ|筆者撮影
また、前日からのみ稼働するボランティアには十分な休憩と無料食事券を提供し、フェスも十分楽しんでもらうという厚遇だが、会場整理のできる人員がいると良いのではないかと感じた。
今回の大成功も受け、「スイスにおける日本食への需要急増により、支援者が期待できる」と見込むピアさん。彼女を支えるスポンサーが増え、来年以降、より快適なジャパン・フード・フェスが続いていくことを願ってやまない。
◆一番の発見
今回気づいた大切なことがある。日本人の売り子はストレスフルに接客し、足らない部分を客にぼやいたりしていた。一方、現地の売り子は、客が商品選びで迷ったりしても根気強く、にこやかに待っていてくれた。並ぶ列の最後尾でも日本語で譲ってくれる現地人グループがいたり、皆穏やかで、祭りを楽しもうという精神が感じられた。「忍耐」「譲り合い」「利他」「おもてなし」「足るを知る」など日本人の美徳として語られるこれらの精神を会場内で体現していたのは、筆者が見た限りでは皆、現地人だった。気がつけば、日本人より日本人らしさを習得している日本好きの外国人が大勢育っているのだ。なんとなく気忙しく行列に1時間ほど並んだのに目当ての商品が売り切れで不満気な顔をしている自分を顧みて、彼らをガッカリさせないような日本人でいなければ、と背筋が伸びた。
ジャパン・フード・フェスで本当に「日本人」らしかったのは、祭り主催者、売り子、おっとりと並んでいる来場者など、皆「日本好きの外国人」だった。これからの時代、「古き良き日本人魂」を継承するのは彼らなのかもしれない。

開場後まもなくの様子。すでに人だかり|© Håkan Hedström
在外ジャーナリスト協会会員 中東生取材
※本記事は在外ジャーナリスト協会の協力により作成しています。