“日本イベント”に沸いたスイス 日本人の忘れた「宝」に鋭い視線

◆雅楽
 スイス・日本協会ハーグ元会長の長年の夢だったという雅楽のスイス招聘がコロナ禍のため1年遅れ、このタイミングで開催されたのも偶然か必然か。細川氏が西洋楽器を使って実現した日本の世界の描写が、オリジナルの雅楽の音を聴くことで証明され、より理解が深まるからだ。公演に先駆けて行われた連邦工科大学での講義では熱心にメモを取ったり、携帯電話でビデオを撮ったりする学生もいるなか、楽師たちはプロフェッショナルに黙々と各楽器を弾いて聞かせる。

打ち物(鞨鼓、楽太鼓、鉦鼓)を前に講義室でスタンバイする北之台雅楽アンサンブル

 プレゼンテーションはこれまた偶然か、前述の展示会責任者であるチューリッヒ大学東洋美術史教授のハンス・トムセン氏が担った。日本語、英語、ドイツ語を同時に操る、日本人より腰が低いデンマーク人だ。楽器についての説明の後、十二単の着付けパフォーマンスや踊りを見せ、最後に「おかあさんといっしょ」の歌のお兄さんだったひなたおさむ氏が「さくらさくら」「荒城の月」「故郷」を歌った。雅楽アンサンブルでは西洋音階のなかで出せない音があるといい、ハーモニーが難しそうな部分もあったが、日本人の郷愁も誘い、大好評だった。翌日のコンサートでは舞踊曲も2種類披露され、日本国歌と「越天楽今様」が歌われた。そして元会長直々のリクエストに応え、アンコールではひなた氏が再度「荒城の月」を歌った。西洋人だけでなく、戦後西洋音楽教育のみを受けてきた日本人にも東西折衷の音楽は有益な体験だった。

 そして終演後にスイス人がポロッと口にした、「この音楽を聴くとチャクラがパッと開く感覚がある」という感想に目から鱗が落ちた気がした。そうか、天皇家が1300年間守ってきたという雅楽は、実はヒーリングミュージックだったのだ。

 北之台雅楽アンサンブルはその後、ベルン、ジュネーヴと移動し、パリでの2公演の後に帰国した。日本には宮内庁と伊勢神宮の他に、このような雅楽会が全国で活動しているという。日本の小学校教育でも1996年から雅楽に触れるようになったが、当の小学校教諭達が雅楽を知らないため、こうした雅楽アンサンブルが教えて回っているという。世界中が不安定な今こそ、日本人たるもの日本古来の文化に癒しを求めてみてはどうだろうか。

 2009年にユネスコの無形文化遺産に登録された雅楽は、そのサイトでも「日本人のアイデンティティと日本社会の歴史の結晶を確認するための重要な文化的ツールであるだけでなく、時間をかけて絶え間なく再現することで、複数の文化的伝統がどのように融合して独自の遺産になるかを示すもの」と紹介している。世界最古の音楽アンサンブルを持つ国民である事実を、遠い異国で再確認した。

在外ジャーナリスト協会会員 中東生取材
※本記事は在外ジャーナリスト協会の協力により作成しています。

Text by 中 東生