「植民地統治の象徴」エリザベス2世の負の遺産 アフリカ人が抱く複雑な思い

エリザベス女王(2000年5月)|Adam Butler / AP Photo

 英国王室は9月8日、エリザベス2世が死去したと発表した。英国史上最長の君主として、さまざまな歴史の変遷とともにその人生を歩んできた女王は、旧英国植民地としての歴史を抱えるアフリカの多くの国にとっては、複雑な存在でもある。アフリカの視点から見たエリザベス2世の死に対する反応とは。

◆70年間にわたり在位
 1926年4月21日、ヨーク公アルバート王子(後の国王ジョージ6世)の第1子・長女としてロンドンで生まれたエリザベス2世は、毎年休暇を過ごしていたスコットランドのバルモラル城で息を引き取り、96年の生涯を閉じた。父がジョージ6世としてイギリス国王に即位すると、当時10歳のエリザベス王女が王位継承順位第1位となり、1952 年2月6日、国王ジョージ6世の死去に伴い、25歳で英国女王の座に即位。以後、今月8日に死去するまで70年間にわたって英国君主として存在してきた。

 70年の間、エリザベス2世に仕えた英国首相は15人。その一番初めの人物は、1951年から1955年まで首相を務めたウィンストン・チャーチル。15人目の人物は、今年9月に新首相となったリズ・トラス。彼女は女王の死の2日前、バルモラル城で女王と面会し、首相として正式に任命されたばかりだ。トラスは公式声明にて、エリザベス2世は(英国に)安定と強さをもたらし、自身も影響を受けてきたとコメントし、女王への任務への献身を讃えた。

 今年の6月初旬の週末には女王即位70周年を祝う「プラチナ・ジュビリー(Platinum Jubilee)」の行事が行われた。プラチナ・ジュビリーは英国君主制の歴史のなかでも初めてのことだった。週末の前日2日間は祝日となり、祝賀パレードや競馬レースなどで英国が盛り上がり、ジュビリーを祝うランチパーティーが各地で開催された。

Text by MAKI NAKATA